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あゆみ

2019年3月17日 礼拝説教要旨

2019年3月17日

 神の国は来た

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第11章14-26節

 

  主題聖句:しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」  

ルカによる福音書 第11章20節

        

主イエスは、愛をもって人に寄り添って行かれましたが、皆に受け入れられたわけでなく、誤解されたり、攻撃を受けることもたびたびありました。主イエスが悪霊を追い出して癒しを行われたことに対して、その時代の人々はどのように理解したかというと、驚いた人々もありましたが、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力によって悪霊を追い出している」と侮辱する人もありました。

 

非難する彼らの思いは、悪を克服するためには、より大きな強い力でそれを制するのだろう、という程度の理解でした。でも、その理解が正しいのであれば、主イエスがなさったことは、悪霊の親玉が子分の悪霊を追い出したという内輪もめが起こったことになります。

 

主イエスはそんなことが起こったのではない、とはっきり反論されました。そうではなく、主イエスは、わたしが神の指によって悪霊を押し出しているのなら、神の国はあなたたちのところに来ているのだと明言されました。悪霊を追い出す御業が表わされたことによって、神の国が来ていることが証しされたのだというのです。「神の指」とは、神の絶大な力が発動されたことを示す言葉です(出エジプト18:15)。このような神の力が悪霊を打ち破り、神の国が来たことを表したのです。人を苦しめているものに立ち向かわれるお方が、私たちと共におられます。

2019年3月10日 礼拝説教要旨

2019年3月10日

 ただ主に仕えよ

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第4章1-13節

 

    主題聖句: イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ

主に仕えよ』と書いてある。」 

ルカによる福音書 第4章8節

        

 

教会の暦では、受難節に入っています。4月21日のイースター(復活祝日)前日までの6週間、主イエス・キリストの十字架に向かわれる歩みを思い、その苦しみとそこに込められた御愛を覚える時です。

 

今日は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられた個所です。その誘惑の一つ目が、主イエスが荒れ野で40日間何も食べずにいた後にありました。悪魔は主イエスに、神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうかと迫ったのです。悪魔は、主イエスに、あなたは神の子の力を持っているのだから、その力を自分のために使ったらいいと、神との関係を断ち切って自分独自に生きるように迫って来たのです。それに対し、主イエスは「人はパンだけで生きるものではない」と書いてあると、答えられたのです。その言葉は申命記8章3節の言葉でした。旧約時代、イスラエルの人々が荒野での40年の旅で、苦しみの時、主から天からの食べ物で助けられました。彼らが神に信頼して助けを受けたように、そのように、主イエスはご自分も神に信頼して生きると答えたのです。

 

二つ目の誘惑は、悪魔が主イエスに世界のすべての国々を見せて、その国々の権力と繁栄を与えるから、わたしを拝めというものでした。これは、主イエスに、全世界の権力と栄光を一手に握って世界の王となるようにという誘惑です。主イエスの答えが、上記の言葉です。イスラエルの人々に語られたこの命令のように、ただ主に仕えると表明された。

2019年3月3日 礼拝説教要旨

2019年3月3日

 五つのパンと二匹の魚

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第9章1-12節

 

主題聖句:      すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。            

ルカによる福音書 第9章16節

        

福音書には、主イエスのなさった驚くべき御業が数多く記されていますが、その中でこの五千人の給食の奇跡は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に記されています。それほどに、弟子たちにとって忘れがたい記憶に残る出来事であったのでしょう。

 

始まりは、弟子たちが伝道旅行から帰って来たので、主イエスは彼らを連れて静かな場所に退かれ、それを知った群衆が後を追ってきたことからです。その時、主イエスはこの人々を親しく歓迎し、教え、治療の必要な人々を癒やされました。そうするうちに日が傾きかけたので、弟子たちはそばに来て、群衆を解散させ、各自で宿を取り、食べ物を見つけるように主イエスに進言しました。ところが、主イエスは弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われたのです。弟子たちは自分たちにはパン五つと魚二匹しかないと告げました。これではとても多くの人々には足りないと思ったからでした。

 

すると、主イエスは弟子たちに、人々が50人ずつ組みにして座らせるように指示され、その上で五つのパンと二匹の魚を取って天を仰いでそれらのために讃美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡し、群衆に配らせました。すべての人々は食べて満腹したのです。このことは主イエスこそ人々の命を養われる救い主であることを示しています。

2019年2月24日 礼拝説教要旨

2019年2月24日

 いやすキリスト

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第5章12-26節

 

    主題聖句: イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」

と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。

ルカによる福音書 第5章13節

        

 

 私たちが病気にかかることがあります。自分だけでなく、愛する家族がそうなる場合もあります。そんなとき、休むことが大切です。適切な医師の診断と治療を受けて回復することがあります。そういう時こそ、私たちの心も身体も、創造主なる神によって造られ、支えられていることを覚えたい。神は私たちのことを心配され、守っておられます。その神にこの自分を癒やし回復して頂けるように祈ることができることは幸いです。神の憐れみのみ手が働く時、回復されます。憐れみ深い神は私たちの祈りを聞いて癒してくださいます。

 

今日の聖書箇所の、重い皮膚病を患っていた人は、その病気のゆえの苦しみや辛さを持っていたでしょう。さらに、病気による汚れもあり、人から離れて宿営の外で生活しなければなりませんでした。自分が汚れていると言って、人々を近づけないようにする規定に従わなければなりませんでした。でも、この人はその規定を破って主イエスに近づき清めを求めたのです。ひれ伏して主よ、お心ならば、わたしを清くすることができますとお願いしたのです。その切実な願いに、主イエスは進んで彼に手を差し伸べ、触れ、「わたしの心だ清くなれ」と宣言されその病が癒やされたのです。主イエスがお心をとめられる時、癒されるのです。

2019年2月17日 礼拝説教要旨

2019年2月17日

 御言葉を聞く

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第8章4-15節

 

主題聖句:イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが

許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。     

ルカによる福音書 第8章10節

        

 主イエスは人々に神の国を宣べ伝えられる時、よく、たとえを用いて話されました。そのたとえ話の一つが今日の箇所にある、種を蒔く者が種を蒔いたという話です。その種を蒔く人が種を蒔いたところ、ある種は道端に、ある種は石地に、ある種はいばらの中に、ある種は良い土地に落ちました。それらの種はその後どうなったかを主イエスは話されたのでした。

 

この話が終った後、弟子たちはこのたとえの意味を主イエスに尋ねたのです。その時、主イエスは答えられたのが上記の言葉でした。神の国の秘密は他の人々には理解するのは難しいのでたとえで語られるのです。しかし、主イエスを信じるあなたがたには、神の国の秘密を悟ることが許されていると言われました。あなたがたには神がその秘密が分かるように明らかにしてくださるというのです。

 

そして彼らにこのたとえの意味を教えられました。種を蒔く者の蒔く種が、どのような土地に蒔くかによってその後の成長が違って来る。種とは、神の言葉であり、主イエスの伝える神の言葉を人がどのような心で聞いていくかによって違って来るというのです。主の語られる恵みの言葉を「立派な善い心で」信じて聞く時、実を結ぶのです。

 

2019年2月10日 礼拝背説教要旨

2019年2月10日

 安息日の主

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第6章1-11節

 

主題聖句:そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」。     

ルカによる福音書 第6章5節

        

 今日キリスト教会は、日曜日を安息日として、仕事を離れて教会に集い礼拝をささげています。それは、日曜日の朝、主イエスが死人の中からよみがえられたからです。

 

しかし、安息日は元々旧約聖書の時代に神がイスラエルの民に守るように定められたもので、土曜日でした。その戒めは、六日の間働いて、七日目は主の安息日であるからいかなる仕事もしてはならないというものでした。それゆえ、イスラエルの民はそれを守り続けていました。しかも、きちんとした形で守ろうとするあまり、更に細かな規定を加えて行きました。そのために、色んな問題が起きていました。

 

その一つが、今日の聖書箇所にあることです。ある安息日に主イエスと弟子たちが麦畑を歩いているとき、弟子たちが麦畑の穂を摘んで手でもみ出して食べたのです。それを見たユダヤ宗教指導者は問題にしたのです。彼らの言い分は、麦の穂を摘み、それをもみ出すことは労働であるのに、あなたたちは安息日に仕事をしている、けしからんと主イエスに向けて非難したのです。その訴えに対して、主イエスは答えられました。旧約のダビデは王ということで特別に律法を超えて特別のパンを食べることが許された。そのように人の子イエスは弟子たちに安息日に麦の穂を摘むことを許したのだ。人の子は安息の主であると宣言された。

 

2019年2月3日 礼拝説教要旨

2019年2月3日

 新しいぶどう酒は新しい革袋に

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第5章33-39節

 

 

主題聖句:新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。     

ルカによる福音書 第5章38節

        

 

 周囲の人たちから見れば、キリスト者の信仰生活には、祈りが足りない、慎み深さがないと思われているところがあるのかもしれません。

 

主イエスが、罪人と言われている人たちを招いて弟子とされ、彼らと一緒に食事をしているときに、ユダヤ教の指導者たちから厳しい苦言がありました。あなたがたは断食や祈りをしない、食べたりばかりだと。

 

主イエスはその非難に対して、花婿が一緒にいる婚礼の客はその時にはその祝いのゆえに断食をしない。そのように花婿であるイエスと一緒にいる弟子たちはその喜びゆえに断食をしない。でも、花婿が奪い去られると悲しみのあまり断食することになる。

 

そう答えられたあと、さらにたとえを持って「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる」と語られました。

 

このたとえの古い革袋は古いユダヤ教の生活、新しいぶどう酒は主イエスの新しい教え、新しい命の喜びであり、新しい革袋は主イエスの教えに基づく生活を示しています。もし人がユダヤ教の古い伝統の生活に固執しその中に主イエスの教えを入れると、入れ物も中身も両方が駄目になる。新しいぶどう酒である主イエスの福音の喜びは命があふれているので、主イエスをそのまま信じて受け入れるべきなのです。

 

2019年1月27日 礼拝説教要旨

2019年1月30日

心からの献げもの

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第21章1-9節

主題聖句:言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。

ルカによる福音書 第21章3節

 私たちが日曜日の朝、教会に集い、礼拝をささげていますが、その基本は、神様からの大きな恵みを覚えて、私たちの全生活を神様にささげることです。ローマ12章1節をご覧ください。
主イエスの地上を歩まれた時代の礼拝は、エルサレムの神殿で祭司によって動物のいけにえをささげて感謝を表し、罪の赦しを願うものでした。神殿礼拝は形式的になっていて、問題点も多かったので、その神殿も神殿での礼拝もいつか終わる時が来ることを主イエスははっきりと語られました。そういう中で、すばらしい目を見張るような礼拝をする人に主イエスは目を留められました。それが今日の箇所のある貧しいやもめの献金の姿です。
主イエスは、金持ちたちが神殿の賽銭箱に献金を入れる様子を見ておられました。その列の中に、あるやもめがレプトン銅貨2枚を入れたのです。その金額は金持ちの献金に比べるならわずかなものでした。しかし、主イエスはそれをご覧になって、「この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた」と言われたのです。それは、このやもめが乏しい中から持っている生活費すべてささげたからです。彼女は自分のための何かを残さず、神様が自分を必ず守ってくださると信じて自分の生活すべてを神様にささげたのです。この姿勢は私たちにインパクトを与えます。

2019年1月20日 礼拝説教要旨

2019年1月30日

 故郷では歓迎されない預言者

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第4章16-30節

 

主題聖句:皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った「この人はヨセフの子ではないか。」  

ルカ福音書 第4章22節

        

 主イエスはご自身のお育ちになったナザレに来て、安息日にユダヤ人の会堂に入り、そこで聖書を朗読されました。イザヤ書61章の言葉でした。そこを読まれた後、人々に向かって「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められました。

 

この話を聞いた人々は皆、イエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いたのです。このお方の語る言葉が人々の心に沁み入る言葉であったからです。「この人はヨセフの子ではないか」。あの大工ヨセフの子がこんな立派なことが言えたものだと感心したのです。それからやがてわれわれはヨセフの子を、イエスの他にもその兄弟たちをも知っている。この子たちはここナザレに住んでいるではないかと主イエスを軽蔑することになったのです。イエスを神から遣わされた者と信じられなくなったのです。

 

このようなつまずきは今日の私たちにも当てはまるのではないでしょうか。イエスを私たちは神の御子と信じ、この方の救いを信じていますが、そのとき、心の中でこのイエスも一人の人間ではないか、イエスを敬う程のことはないと思ってしまいやすいのです。しかし、この方は確かにヨセフの子として生まれ育った人ですが、神から遣わされた救い主です。私たちと同じ人間として苦しみ、私たちに仕えられたのです。

2019年1月13日 礼拝説教要旨

2019年1月16日

 人生の転機

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第5章1-11節

 

主題聖句:シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。          ルカによる福音書 第5章5節

        

 人生には、ある時変化が起き、新しい展開になっていくという転機を迎えることがあります。シモン・ペトロにおいては、今日の聖書箇所の出来事がそのことでした。その後、彼の人生は大きく変わりました。

 

その日の朝もいつものようにシモンは漁師として漁をしたのですが、その朝は何も獲れず辛い思いで舟を降りて片づけをしていた時でした。主イエスから、彼の舟に乗って少し湖岸から少し出た所から人々に話をさせて欲しいと頼まれました。早速彼は主イエスを舟に乗せ、主イエスは人々に神の言葉を教えられました。その時彼もそばで聞いていました。そして主イエスの話が終り、その時、主イエスは彼に思いがけない言葉をかけられたのです。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。そう聞いた時、「自分は漁師だから、こんな昼間に漁をしても何も獲れませんよ」と笑い飛ばすこともできたはずでしたが、そうしませんでした。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから」と答えたのです。どうしてそう答えたのでしょうか。先ほどまで話された主イエスの教えを思い出したからです。このお方が言われるのだから信じて従おうとしたのです。そうしたところ、彼は奇跡を見、イエスは神だと知ったのです。

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