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あゆみ

2017年12月10日 礼拝説教要旨

2017年12月11日

主の言葉を聞きなさい

三好 晴夫 牧師

エレミヤ書 第36章1-10節

 

主題聖句:「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。」         

エレミヤ書 第36章2節

 

  今日は教会の暦では待降節第二主日で、主題は、神の言葉を深く覚えることです。世界のベストセラーは聖書です。どうして多くの人に読まれているかというと、内容のすばらしさもありますが、聖書の言葉を一人でも多くの人に読んでもらおうと聖書を配っている人たちの努力があるからだと思います。では、そういう人々がそこまでして人々に聖書を届けようとするのでしょうか。それは、聖書の言葉に命があり、希望があり、人を救う力があるからです。皆さんも、これまでの経験の中で、聖書の言葉によって励まされ、元気をもらったという経験があるのではないでしょうか。自分が励まされたから、人にもぜひ味わってもらいたいのです。

 

ではどうして聖書の言葉に命があり、救う力があるのでしょうか。聖書には、神様が私たちを愛しておられ、救おうとしておられるということが書かれてあるからです。この神様の愛を知って救われてほしいという神様の願いが聖書に溢れているので、聖書のメッセージに耳を傾けるべきなのです。このエレミヤ書36章には、預言者エレミヤがこれまでずっと人々に伝え続けてきた預言(神の愛、人々の罪とその結果としての裁き、悔い改めの勧め)を書記官に記録させて再度人々に聞かせようとしたとあります。そうして人々が自分の罪に気づき立ち返ることを願ったからです。

 

2017年12月3日 礼拝説教要旨

2017年12月3日

主の救いが現れる

三好 晴夫 牧師

イザヤ書 第51章4-11節

 

主題聖句:わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき わたしの腕を待ち望む。

イザヤ書 第515

 

  2000年前に、救い主イエスがお生れになったとき、何の前触れもなく、突然にお生まれになったのではありませんでした。旧約聖書の昔から、預言者たちが、やがて救い主がお出でになり、救ってくださるとの預言を伝え、その預言を聞いたユダヤの人々はそれを希望にして目の前の苦しみに耐えて過ごしたのでした。そのように救い主を待ち望んだ彼らのもとに救い主がお生まれになったのです。今年のアドヴェント(待降節)の時、その姿に見倣って、救い主の御降誕を待望したいのです。

 

今日は待降節第1主日として、イザヤ書51章を読みます。当時のイスラエルの民は、自国を大国バビロンによって滅ぼされ、バビロンで捕囚の身となり、絶望と苦難の中にありました。その彼らに、大いなる希望が示されたのです。わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。」正義というと、正しい秩序、正しい裁きというように思われます。しかし、神の正義は人を生かすものです。神の救いそのものです。そのことは、苦難のしもべの預言に示されました。神はその裁きを人に負わせるのではなく、主のしもべの上に負わせて、人々を救い出すというのです。そこに示されているのは、人々を何としても救おうとされる神の大きな愛です。その神の救いが救い主によって現されるのです。

 

2017年11月26日 礼拝説教要旨

2017年11月26日

聖霊に満たされた人

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第6章8-15節

 

主題聖句: 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。 

 使徒言行録 第615

 

もし周囲の人から「あなたは、こんな大変な中、どうしてそんなに輝いているの。なぜ?」と言ってもらえたら、嬉しいですね。その時こそ、自分がどうして平安であり、喜びがあるのか証しできる機会となるかもしれません。

 

教会役員の一人に選ばれたステファノは「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」ので、彼に反対する人も現れました。しかし、彼は知恵と聖霊によって語ったので、反対者は対抗できなかったのです。それでついにユダヤ教の指導者たちは彼を捕えて最高法院に訴えました。

 

その法院の席に着いていた人々は皆、ステファノがどのような反応をするのか、見つめていたところ、彼の顔はさながら天使の顔のように見えたというのです。ステファノは、人々の悪意や策略を受けても全く動じることがなかったのです。彼の顔が天使の顔のように、平安に満ちていたことを示しているのではないでしょうか。

 

主イエスは以前弟子たちに、権力者から尋問された時、何をどう言い訳しようか心配するな。言うべきことは聖霊がそのとき教えてくださると教えられていたのです。ステファノはその通りにしたのです。共におられる主を見つめていたのです。私たちも聖霊に満たされることを求めたい。

 

2017年11月19日 礼拝説教要旨

2017年11月19日

彼らに仕事を任せよう

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第6章1-7節

 

主題聖句: そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。

                    使徒言行録 第62

 

人と人が共に生きていくために、互いに配慮し合うことが必要です。配慮し合うことがないならば、お互いがうまく調和が取れなくなってしまいます。キリスト教会という共同体においても、主イエス・キリストの恵みがすべての人々に行き渡るように配慮することが必要です。神のみ言葉と神の霊によって人々に慰めと励ましを与える配慮が必要です。

 

人の魂の配慮と共に人々の肉体の必要についても何らかの配慮をしなければならないことがあります。教会は初代教会の時から、人々の肉体にかかわる物質的な配慮も教会の務めとしてきました。すなわち、貧しく食べる物に困っている信者たちにお金や食べ物を分配していたのです。

 

しかし、人が行う配慮はうまく出来るとは限りません。今日の箇所は、その一つの大きな問題が起こったことが記されています。教会の中にギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出たのです。ギリシャ語を話すユダヤ人仲間のやもめへの日々の分配がおろそかにされているというものでした。そこで使徒たちは教会の人々を集めて一つの提案をしました。それは、使徒たちはあれもこれも全部負うことをせず、ふさわしい人々に任せ、使徒たちは祈りと御言葉の奉仕に専念するというものでした。祈り御言葉を伝えることは今も引き継ぐ使命です。

 

2017年11月12日 礼拝説教要旨

2017年11月12日

苦難をも喜ぶ

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章 33-42節

 主題聖句:それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、

                    使徒言行録 第541

 

 私たちがキリストを信じてお任せして生きようとするとき、キリストを私の救い主であることを表明するとき、必然的に受けなければならなくさせられる苦しみがあります。これが、キリストのための苦しみです。これは、自分の過ちや自分の欲望で受けなければならなくなる苦しみとは違います。

 

日本という唯一の神様を知らない人の多い国の中で、私たちが信仰をもって、様々な人と共に生きようとするとき、様々な不都合が起こることがあります。その苦しみに耐えられないと思う時もあります。そんなとき、頼むべきものは、キリストです。キリストこそ頼るべきお方です。

 

今日の箇所で、使徒たちが積極的にイエスを救い主であることを証ししたとき、ユダヤ人権力者から、イエスの名を語るなという命令を受け、それに従わないで、なおも証ししたとき、迫害を受けたことが記されています。その時、彼らは「イエスの名のために辱めをうけるほどの者にされたことを喜び」伝道に励んだというのです。それは、イエスの名のための苦しみを受けて、イエスご自身がこの私のために受けられたあの苦しみのほんの一部を受けることができたと喜んでいます。救って下さったキリストのために自分も共に苦しむことができると喜んでいるのです。

 

2017年11月5日 礼拝説教要旨

2017年11月5日

キリストを証しする

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章33-42節

主題聖句:わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」

                    使徒言行録 第532

 

 エルサレムで使徒たちは最高法院(当時の最高裁判所のような所)でユダヤの権力者から尋問を受けることになりました。彼ら権力者は前に使徒たちに対して、イエスの名によって話したり教えたりしてはならないと厳しく命じていました。しかし、使徒たちはその命令に従わないでイエスを宣べ伝えたので、今再び厳しく尋問を受けることになったのです。

 

普通の人なら、権力者の脅しにひるんでしまうことでしょう。しかし、使徒たちは恐れず、毅然とした態度で答えました。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」それは、イエスが真の救い主であり、この方のことを伝えるように神から命じられていたからです。神のみこころに従わなければならないというのです。

 

そして使徒は言いました。あなたがた権力者が木につけて殺したイエスを、私たちの先祖の神は復活させられたのです。このお方が真の救い主です。神のおられる天に引き上げられ、このお方によって悔い改めと罪の赦しが与えられるのです。使徒たちは、自分たちがイエスの死、復活、昇天という事実を目撃した証人だと語りました。しかも、自分たちが恐れないで確信をもって証言できるのは、聖霊が自分たちの心の中でこの事実を示してくださるからだと。聖霊は私たちにもその事実を証しされるのです。

2017年10月29日 礼拝説教要旨

2017年10月29日

教会の成長とその結果

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章12-26節

 

主題聖句:ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、

「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。 

                  使徒言行録 第519、20

 

 使徒5章12節以下に、エルサレムに誕生した初代教会の成長の様子と、その結果起こった出来事が記されています。教会の成長の様子として、使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業が民衆の間で行われたのでした。3章に記されていたような病気の人がいやされるという奇跡があったのです。神がそこに働いておられたのです。

 

信者たちは心を一つにして神殿の境内に集まって集会を持ちました。けれども、信者ではない人たちは誰も仲間に加わろうとしなかったのです。信者たちの交わりには何か近寄りがたい雰囲気があったのでしょう。しかし、民衆は彼らを称賛していたのです。畏敬の念をもって見ていたのです。それにもかかわらず、多くの男女が主を信じ、その数が増えて行きました。教会には、この世にはないものがあったのです。それは神の御力です。人々はその神の御力を求めて、彼らに近づきました。そして彼らは神の御力によって癒されました。

 

しかし、このような教会の様子を見て、激しくねたむ人々がありました。ユダヤの権力者たちです。彼ら使徒たちを捕えてしまいました。しかし、その中で神の不思議な助けと励ましがあり、使徒たちは確信をもって福音を伝え続けたのです。神の助けと励ましは私たちにもあり守られている。

 

2017年10月22日 礼拝説教要旨 櫻井圀郎 師

2017年10月22日

霊と肉の分離

 

櫻井 圀郎 牧師

直 訳「その塵は、彼が在る所のように、その地の上に座する。

     そして、その息は、彼女を与えた、その神に、帰る。」     

     コヘレトの言葉 第12章7節 

 

  

「人生100年時代に入った」。90歳以上が3割、100歳以上も6万人超。 寿命が2倍になっても、死は人間の必然。死を恐れ、不老不死を願う。

本来、生命は永遠だが、近代の物質主義文明は有限の枠内で物を考える。

 

 

Ⅰ 塵と息で成る人間

「地からの塵」で形成、「神の息」で生命(創世記2章7節)。

人間の「被造物性」と「創造主性」。人間の死は「塵と息の分離」。

 

 

Ⅱ 地からの塵なる肉

直訳:「その塵は、彼が在る所のように、その地の上に座する」。

意味:「塵は、本来それがあるべき所である、地表に定着する」。

人間は、地表(地球の表層の表層)に着いて生活。

 

 

Ⅲ 神からの息なる霊

直訳:「そして、その息は、彼女を与えた、その神に、帰る」。

意味:「息は、息を与えた神に帰る」。

「息(ルーアッハ)」は、「息」「風」「霊」「聖霊」。

「神の息(神の霊)」が「人間の生命」の源泉。

 

2017年10月15日 礼拝説教要旨

2017年10月15日

日々新たにされる

三好 晴夫 牧師

コリント信徒への手紙二 第4章16-18節

 

主題聖句:だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。         コリントの信徒への手紙二 第416

 

  わたしたちの「外なる人」、すなわちわたしたち人間の肉体は、いつか衰えていきます。どんなに十分に健康に気を付け、適度な運動、バランスの良い食生活をするなど様々な調整を十分したとしても、肉体の衰えをとめることは出来ません。滅びてしまうだけなのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。主イエス・キリストがわたしたちのために救いを成し遂げてくださり、わたしたちに復活の命を与えてくださっているので、「外なる人」が衰えていくとしても、キリストを信じる者の「内なる人」は日々新たにされていくというのです。

 

「内なる人」とは、主イエス・キリストを信じて心の中にお迎えしたときに、新しく生まれた新しい人格です。新しくされた霊なるわたしです。ですから、わたしたちの肉体は衰えて、心も身体も衰えていくという困難を覚えることがあったとしても、落胆しないのです。それは、聖霊とキリストの力によってわたしたちの内なる人が強められ、日々新しくされるからです。常に新しいいのちに潤されていくからです。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれ」(17節)るのです。今苦しみがあっても、新しいいのちによって重みのある栄光が与えられるという希望を抱いて生きることができます。

 

2017年10月8日 礼拝説教要旨

2017年10月8日

神を欺いた結果

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章1-11節

 

主題聖句:ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。                

使徒言行録 第51,2

 

  初代教会の中で起きた悲しむべき出来事が記されています。エルサレムの初代教会は、イエスを真の救い主であることを信じることに一つとなって、互いに助け合う信仰の交わりを持っていました。しかし、その教会も完全ではなく、罪が入り込む余地があったのです。

 

4章34節以下にバルナバはじめ土地を持つ人々が自発的にそれを売ってその代金を教会に献金していたとあります。それは、神への感謝として自分の人生そのものを神と教会にささげる信仰の姿でした。

 

それを見た、アナニアとサフィラは自分たちもそのようにして教会に評価されたいと思ったのでしょう。彼らは相談して自分の土地を売り、その一部を持ってきて教会に献金しました。そこだけを見ますと、彼らも立派な献金をしたと見えました。けれども、そこに、神を欺く罪があったという指摘がありました。彼らのどこに問題があったのでしょうか。土地の売却金の一部しか献金しなかったことが問題なのではありません。彼らは、自分たちの生活も考えて出来る範囲のものをささげようとしたのでしょう。でもその時、彼らは献金を、自分の土地の代金全部を潔く献げたものだと見せかけたのです。しかも夫婦で共謀したのでした。彼らはうまくやったと思ったでしょうが、それは、人ではなく、神を欺く罪でした。

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