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あゆみ

2017年11月5日 礼拝説教要旨

2017年11月5日

キリストを証しする

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章33-42節

主題聖句:わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」

                    使徒言行録 第532

 

 エルサレムで使徒たちは最高法院(当時の最高裁判所のような所)でユダヤの権力者から尋問を受けることになりました。彼ら権力者は前に使徒たちに対して、イエスの名によって話したり教えたりしてはならないと厳しく命じていました。しかし、使徒たちはその命令に従わないでイエスを宣べ伝えたので、今再び厳しく尋問を受けることになったのです。

 

普通の人なら、権力者の脅しにひるんでしまうことでしょう。しかし、使徒たちは恐れず、毅然とした態度で答えました。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」それは、イエスが真の救い主であり、この方のことを伝えるように神から命じられていたからです。神のみこころに従わなければならないというのです。

 

そして使徒は言いました。あなたがた権力者が木につけて殺したイエスを、私たちの先祖の神は復活させられたのです。このお方が真の救い主です。神のおられる天に引き上げられ、このお方によって悔い改めと罪の赦しが与えられるのです。使徒たちは、自分たちがイエスの死、復活、昇天という事実を目撃した証人だと語りました。しかも、自分たちが恐れないで確信をもって証言できるのは、聖霊が自分たちの心の中でこの事実を示してくださるからだと。聖霊は私たちにもその事実を証しされるのです。

2017年10月29日 礼拝説教要旨

2017年10月29日

教会の成長とその結果

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章12-26節

 

主題聖句:ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、

「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。 

                  使徒言行録 第519、20

 

 使徒5章12節以下に、エルサレムに誕生した初代教会の成長の様子と、その結果起こった出来事が記されています。教会の成長の様子として、使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業が民衆の間で行われたのでした。3章に記されていたような病気の人がいやされるという奇跡があったのです。神がそこに働いておられたのです。

 

信者たちは心を一つにして神殿の境内に集まって集会を持ちました。けれども、信者ではない人たちは誰も仲間に加わろうとしなかったのです。信者たちの交わりには何か近寄りがたい雰囲気があったのでしょう。しかし、民衆は彼らを称賛していたのです。畏敬の念をもって見ていたのです。それにもかかわらず、多くの男女が主を信じ、その数が増えて行きました。教会には、この世にはないものがあったのです。それは神の御力です。人々はその神の御力を求めて、彼らに近づきました。そして彼らは神の御力によって癒されました。

 

しかし、このような教会の様子を見て、激しくねたむ人々がありました。ユダヤの権力者たちです。彼ら使徒たちを捕えてしまいました。しかし、その中で神の不思議な助けと励ましがあり、使徒たちは確信をもって福音を伝え続けたのです。神の助けと励ましは私たちにもあり守られている。

 

2017年10月22日 礼拝説教要旨 櫻井圀郎 師

2017年10月22日

霊と肉の分離

 

櫻井 圀郎 牧師

直 訳「その塵は、彼が在る所のように、その地の上に座する。

     そして、その息は、彼女を与えた、その神に、帰る。」     

     コヘレトの言葉 第12章7節 

 

  

「人生100年時代に入った」。90歳以上が3割、100歳以上も6万人超。 寿命が2倍になっても、死は人間の必然。死を恐れ、不老不死を願う。

本来、生命は永遠だが、近代の物質主義文明は有限の枠内で物を考える。

 

 

Ⅰ 塵と息で成る人間

「地からの塵」で形成、「神の息」で生命(創世記2章7節)。

人間の「被造物性」と「創造主性」。人間の死は「塵と息の分離」。

 

 

Ⅱ 地からの塵なる肉

直訳:「その塵は、彼が在る所のように、その地の上に座する」。

意味:「塵は、本来それがあるべき所である、地表に定着する」。

人間は、地表(地球の表層の表層)に着いて生活。

 

 

Ⅲ 神からの息なる霊

直訳:「そして、その息は、彼女を与えた、その神に、帰る」。

意味:「息は、息を与えた神に帰る」。

「息(ルーアッハ)」は、「息」「風」「霊」「聖霊」。

「神の息(神の霊)」が「人間の生命」の源泉。

 

2017年10月15日 礼拝説教要旨

2017年10月15日

日々新たにされる

三好 晴夫 牧師

コリント信徒への手紙二 第4章16-18節

 

主題聖句:だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。         コリントの信徒への手紙二 第416

 

  わたしたちの「外なる人」、すなわちわたしたち人間の肉体は、いつか衰えていきます。どんなに十分に健康に気を付け、適度な運動、バランスの良い食生活をするなど様々な調整を十分したとしても、肉体の衰えをとめることは出来ません。滅びてしまうだけなのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。主イエス・キリストがわたしたちのために救いを成し遂げてくださり、わたしたちに復活の命を与えてくださっているので、「外なる人」が衰えていくとしても、キリストを信じる者の「内なる人」は日々新たにされていくというのです。

 

「内なる人」とは、主イエス・キリストを信じて心の中にお迎えしたときに、新しく生まれた新しい人格です。新しくされた霊なるわたしです。ですから、わたしたちの肉体は衰えて、心も身体も衰えていくという困難を覚えることがあったとしても、落胆しないのです。それは、聖霊とキリストの力によってわたしたちの内なる人が強められ、日々新しくされるからです。常に新しいいのちに潤されていくからです。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれ」(17節)るのです。今苦しみがあっても、新しいいのちによって重みのある栄光が与えられるという希望を抱いて生きることができます。

 

2017年10月8日 礼拝説教要旨

2017年10月8日

神を欺いた結果

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第5章1-11節

 

主題聖句:ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。                

使徒言行録 第51,2

 

  初代教会の中で起きた悲しむべき出来事が記されています。エルサレムの初代教会は、イエスを真の救い主であることを信じることに一つとなって、互いに助け合う信仰の交わりを持っていました。しかし、その教会も完全ではなく、罪が入り込む余地があったのです。

 

4章34節以下にバルナバはじめ土地を持つ人々が自発的にそれを売ってその代金を教会に献金していたとあります。それは、神への感謝として自分の人生そのものを神と教会にささげる信仰の姿でした。

 

それを見た、アナニアとサフィラは自分たちもそのようにして教会に評価されたいと思ったのでしょう。彼らは相談して自分の土地を売り、その一部を持ってきて教会に献金しました。そこだけを見ますと、彼らも立派な献金をしたと見えました。けれども、そこに、神を欺く罪があったという指摘がありました。彼らのどこに問題があったのでしょうか。土地の売却金の一部しか献金しなかったことが問題なのではありません。彼らは、自分たちの生活も考えて出来る範囲のものをささげようとしたのでしょう。でもその時、彼らは献金を、自分の土地の代金全部を潔く献げたものだと見せかけたのです。しかも夫婦で共謀したのでした。彼らはうまくやったと思ったでしょうが、それは、人ではなく、神を欺く罪でした。

2017年10月1日 礼拝説教要旨

2017年10月1日

心も思いも一つに

三好晴夫 牧師

使徒言行録 第4章32-37節

 

主題聖句: 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。  

              使徒言行録 第432

 

「信じた人々の群れ」である教会が誕生したばかりの頃、信じた人たちはどのような生活をしていたのでしょうか。以前見た使徒言行録2章44節では、「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」とありました。そして、今日の箇所には「心も思いも一つにし…すべてを共有し」助け合うことをしていたとあります。

 

彼ら信者は同じ信仰を持った者同士です。同じキリストから愛され、救い出された者と認め合い、各自の持ち物を自分だけのものとせず、仲間のために提供し、必要な時に自由に使えるようにしたのです。

 

自分のものを提供するならば、自分のものが減ってしまうことになります。けれども、今自分の持ちものも、神から与えられたものであり、それをささげたとしても、神が必要を満たしてくださると信じて差し出したのでしょう。

 

そのようにすることが出来たのは、彼らが自分のことだけを考えないで、互いを思いやる愛を持っていたからでしょう。使徒たちから主イエスの復活の恵みを何度も教えられ、神からの大きな恵みが彼らの上に注がれ、励まされていたからでしょう。この恵みは私たちに注がれています。

 

2017年9月24日 礼拝説教要旨

2017年9月24日

大胆に神の言葉を語る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章23-31節

 

主題聖句:主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。

                 使徒言行録 第429

 

 キリストを信じる信仰のゆえに、周囲から誤解や反対を受けることがあります。その中でも、私たちがこの信仰を持ち続いていくことができるように、聖霊からの導きと励ましがあることは何と幸いなことでしょう。

 

今日の箇所に、使徒ペトロとヨハネが捕えられて裁判を受けたけれども、裁かれないで脅されただけで釈放されて、仲間たちの所に戻って来たとあります。迎えた仲間たちは、彼らのことを心配し祈っていたのでした。しかし、釈放された二人が、裁判の席で尋問に対して、自分たちがしたことを足の不自由な人を助けてあげただけで、それはイエスの名によってそうしただけと正直に語ることができ、良かったと、喜んで報告したのでした。その報告を聞いた仲間たちも、神への感謝にあふれたのです。二人と心を一つにして、神に向かって叫ぶように祈り始めました。

 

祈りの中で、彼らはヘロデとポンティオ・ピラトがイエスを拒んで、十字架につけて処刑したことは、実は神のご計画によってあらかじめ定められたことを行っただけですと語ります。神のご計画どおり、イエスは、メシアの苦難を受けられた。そのように自分たちも今、この神のご計画によってイエスと同じ苦しみを受けさせて頂いているのだと受け止め、ですから、この苦難の中にも神の言葉を大胆に語らせてください、と祈るのです。

2017年9月17日 礼拝説教要旨

2017年9月18日

大いなる希望

三好 晴夫 牧師

コリントの信徒への手紙 二  第5章1-10節

 

主題聖句:わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。 

             コリントの信徒への手紙二 5章1節

 

 

 人は死んだら肉体は朽ちていきます。それで終わりなのでしょうか。そうではありません。上記の御言葉は、地上での肉体が滅びても、神によって頑丈な「建物」のようなからだが備えられるのだと約束しています。

 

そのからだとは、人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。霊のからだであり、新しい命のからだです。死んだあと、次の世界があると、使徒パウロは「わたしたちは知っている」と語っています。

 

その根拠は、主イエス・キリスト御自身が十字架で死なれたが、三日後、死人の中から復活され、救いを成し遂げられたからです。その御業のゆえに主イエスを信じる者に復活の命が与えられると約束されたからです。ですから、人が死んでも死で終わらず、永遠の命が与えられるのです。この約束は、大いなる希望です。

 

先に神のみもとに召された方々は、生きている間、苦しみや闘いがありました。しかし、この大いなる希望、すなわち、天にある永遠の住みかを頂くことを希望として過ごされ、今神のもとにあります。そして今、私たちも、苦しみや辛さを抱えています。けれども、私たちにも、この大いなる希望が与えられているのです。

2017年9月10日 礼拝説教要旨

2017年9月10日

神に従う

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13節-22節

 

主題聖句:しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。

                 使徒言行録 第419

 

 

 この世界で神を信じて生きるためには、勇気をもって自分の信仰を表明しなければならないことがあります。そのような時、神の与えられた絶好の機会と思って受け止め、その時、主は支えてくださると信じましょう。

 

今日の箇所に、使徒ペトロたちがユダヤの最高法院という場に立たされて、尋問を受けたときのことが記されています。「何の権威によって病人をいやしたのか」というものでした。それに対してペトロは聖霊に満たされて、それはイエス・キリストの名による、と大胆に語りました。

 

議員たちは使徒たちの大胆な態度を見、彼らが無学で普通の人であるのを知って驚きました。それは彼らがイエスと一緒にいたからだと知りました。しかも、足を癒された男がそばにいるという動かしがたい証拠を見て、彼ら議員は何も言い返せませんでした。ただ、これ以上広まらないように、決してイエスの名によって話してはいけないと命令してきたのです。

 

こういう命令を受けたら、普通、最高法院の命令は、神の命令を代弁するものとして従わなければなりません。しかし、この最高法院の命令は、神の御心とは違っていました。使徒自身、主イエス・キリストの救いを頂き、イエスの証人とされて、その名によって病人をいやしただけなのです。それ故、そのイエスの名を語るなという命令には従えないと語るのです。

2017年9月3日 礼拝説教要旨

2017年9月3日

救われるべき名

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13-22節

 

主題聖句:ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

                 使徒言行録 第412

 

 

 これは何と大胆な言葉でしょう。使徒ペトロが、イエス・キリストこそ唯一の救い主であると力強く証言した言葉です。ペトロ自身が、イエス・キリストと出会い、この方と共に歩む中で、この方の愛に満たされ、この方によって救われたからこそ、その喜びと感謝からこう語るのです。

 

このように語ったきっかけは、ユダヤの最高法院から、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問されたからです。このような尋問に、以前のペトロなら恐れたでしょう。しかし今、彼は聖霊に満たされて大胆に語り出したのです。今自分が取り調べを受けている理由が、ひとりの病人をよくするために行った善いことのゆえであり、この人が何によっていやされたのかということであるならば、何も罰せられることはありません。むしろ、この人が良くなって皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです、と大胆に証言しているのです。

 

その上で、語らずにはおれないという思いを持って語った魂の叫びでした。イエスのほかだれによっても救いは得られない。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないからです。

 

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