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あゆみ

2011年12月25日 日曜礼拝(動画)

2011年12月25日

2011年12月25日礼拝式(音声)

2011年12月25日

音声をお聞きになる場合は、以下のスピーカーマークをクリックしてください。

2011年12月25日 礼拝説教要旨

2011年12月25日

主題聖句  「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので彼らは非常に恐れた。」

ルカによる福音書 第2章9節

説教主題「万民のための福音」

  「彼ら」とは「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番を」している羊飼いたちです。王宮に住む国の支配者や宗教指導者たちではなく、羊飼いたちがまず、キリストの誕生の知らせを聞きました。当時のユダヤ社会は農業と牧畜とで成り立っています。羊飼いは大切な仕事です。しかし、どちらかというと軽蔑されていました。人口調査のため、人々が自分の町に帰っている時も、羊飼いたちは普段通りに羊の世話をしています。人口調査の目的は課税対象者をハッキリさせ、きっちりと取り立てようとするものです。すると羊飼いは納税義務も免除されていたということでしょうか。確かに羊を追って、その時その時でどこにゆくかわからない人々に「生まれ故郷へ帰って住民登録をせよ」と命令しても、無意味なことです。社会行事に参加することを期待されず、ひたすら夜勤を続ける羊飼いたちは過酷な労働条件に喘ぎ、羊たちを守らなければなりません。
しかも、この人たちをとり巻くのは夜のとばりです。暗闇は死の臭がします。羊を狙う猛獣の遠吠えが聞こえていたとしたら、ぞっとします。生活も楽ではなかったでしょう。〝お先真っ暗〟という日常と将来を闇夜は象徴しているかのようです。社会から相手にされなかったような羊飼いに神の御使は近づいてゆきました。そして救い主の誕生を告げます。暗闇に生活する者たちをまばゆいばかりの神の栄光の輪が包みます。

―人々に希望の光が灯る―これこそが最初のクリスマスなのです。

12月18日 日曜礼拝式(音声)

2011年12月18日

2011年12月18日 日曜礼拝(動画)

2011年12月18日

2011年12月18日 礼拝説教要旨

2011年12月18日

主題聖句

「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせた。」

イザヤ書第53章6節

説教主題「探し求める神」

   主イエスはご自分がなさった例え話の中で、「百匹の羊を持っている人も、もしその内の一匹がいなくなってしまったら、見つかるまで探さないであろうか」と言われました。羊は迷いやすい動物です。草を食べることに熱中していて、気がついてみたら羊飼いからも仲間からもはぐれていたなどということはよくあるようです。自分の直ぐ目の前のことばかりに気を取られて、回りの状況が見えなくなる私たちに似ています。この点を預言者イザヤは「道を誤り、それぞれの方角に向かって行った」と表現しました。一旦迷い出ると羊は羊飼いからも仲間からも遠ざかり、自力で群れに戻ることが難しくなるでしょう。
主イエスはたとえのなかで、羊に対する愛を語られました。99匹も残っているのだから、1匹くらいいなくなったって構いはしないとはおっしゃいません。迷った羊は藪に足を取られたり、斜面を滑り落ちたりして怪我をすることもあるでしょう。羊飼いは迷った羊の足取りをなぞるようにして追いかけてゆきます。羊飼いもまた途中危険な目にあうかもしれません。茨の茂みをくぐったために、棘で傷つくこともあるでしょう。「見つかるまで探すとは」羊たちの辿った苦難の道、迷いの道を自らも傷つきながら、共に歩いてくださることなのです。共に苦しむ果てに羊の身代わりとして十字架にかかられました。良き羊飼いとなって、私たちを救うために主イエスはクリスマスに生まれてくださるのです。

2011年12月11日 礼拝式(動画)

2011年12月11日

12月11日礼拝式

2011年12月11日

2011年12月11日 礼拝説教要旨

2011年12月11日

主題聖句 「主は羊飼い、わたしには何もかけることはない」                                                                                               詩編第23編

説教主題「主はわが牧者」

   キリストとは「油を注がれたもの」という意味です。旧約聖書の時代には、王、祭司、預言者がその仕事に就く時に頭に香油を注がれました。これら3つの役目はひとつひとつ主イエス・キリストに当てはまります。このお方はお一人でこの3つの職を兼ね備えておられるのです。

 クリスマスに一人の赤ちゃんが生まれます。その方が成人してどのような救い主になられるかは注目するところです。主イエスはダビデ王の血筋を引くヨセフの家系に組み込まれるようにして、しかも男性の助けを借りない処女マリアからお生まれになりました。

 王は専制政治に陥りがちです。道をあやまてば、民衆を苦しめることにもなりかねません。しかし、イスラエルには羊飼いの心を持った王を求める伝統がありました。ダビデは少年の時は羊飼いであり、神の選びにより、王となります。しかもキリストがお生まれになったベツレヘムの出身です。ダビデは〝羊飼いの心を持った王〟である主イエス・キリストをあらかじめ、指し示しているとも言えるでしょう。

 詩編第23編では、神を羊飼いにたとえています。この羊飼いのイメージは主イエス・キリストと重なります。「主は羊飼いだ!」とみんなに公言してはばからない信仰は何と幸いではないでしょうか。この救い主がおられれば、他には何も要らない。満ち足りている。そのような喜びと確信とにあふれた信仰告白です。羊飼いのような救い主が来て下さり、どんなときにも共にいてくださいます。このような救い主のおいでを心から喜び、感謝することこそクリスマスの祝いなのです。

12月4日礼拝メッセージ

2011年12月9日

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