2016年9月25日 礼拝説教要旨

 不信仰にならないように

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第6章1-6節

主題聖句:「『この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に過ごしているではないか。』このように、人々はイエスにつまずいた。

 マルコによる福音書第63

 

今日学ぶ、主イエスの故郷の人々は残念ながら、自分たちの故郷の会堂で主イエスの語る説教を聞いて、驚き、つまずいたのです。そこから、信仰について学びたいと思います。

 

あるとき、主イエスは故郷に帰り、安息日に会堂で力強く教えられました。その教えを聞いた故郷の人々は大変驚いたのです。その知恵はどこから来たのか。この人は、自分たちの知っている大工ではないか。彼の母親も知っている。彼の兄弟たちも、姉妹たちも、一緒に過ごしているではないかと思ったのです。故郷の人々は、自分たちの持っている、幼い時から知っているイエスに対する理解、同じ故郷で過ごして来た中で見て来た理解に基づいて、今のイエスの姿を見て、イエスの語る教えを聞いたので、正しく理解できないのです。イエスの真実を見る目が曇ってしまったのです。イエスが力強く語る姿に驚き、つまずいてしまったのです。それで、イエスを救い主と信じることができなくなったのです。

 

でも、イエスがこれほどまでに、生まれたときからずっと完全な人間の姿で生活なさったことは、神様の恵みであります。しかし、イエスが真の人間として歩まれたことは恵み深いことなのですが、故郷の人々には、正しい理解を妨げることになりました。このことは、神様の御業を見る時、それを信じつつ見るか、それとも自分の過去の理解にも基づいて見るかによって大きく違う結果となることを示しています。信じて見るようになりますように。

2016年9月18日 礼拝説教要旨

 復活の希望

三好 晴夫 牧師

テサロニケの信徒への手紙一 第4章13節-18節

 

主題成句:「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。神は同じように、イエス信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」 

 テサロニケの信徒への手紙一 第414

 

 

今朝は召天者記念礼拝を持っています。記念するとは覚えることです。先に神のもとに召されて行かれた方々が、生前、どのような歩みをして、共に過ごしたかを憶え、その生涯を導かれ、私たちをも導いておられる神様を見上げて、ほめたたえる時を持っています。

 

実際に、先に召された方々を覚えることは、悲しく辛いことです。以前肉声をもって語ってくれたあの元気な姿を見ることは出来ません。その人に語りかけて、その人からの返事を肉声で聞くことは出来ません。今もなお耐え難い悲しみにあふれます。その事実は大きいです。ですけれども、もう一つの事実にも目を留めたいのです。故人が人生の中で行き詰まりを覚えた時、神の憐れみによって主イエス・キリストの成し遂げられた十字架の救いを知り、その救いを自分の救いとして信じ受け入れ、自分の罪の赦しを受け、神の復活の命にあずかり、主イエスに導かれて過ごされたと言う事実です。ある方にあっては人生の最終の場面で、家族の愛と祈りの中で、信じるように導かれて、神のみもとに導かれた方もあります。それぞれの人生が神によって導かれ、幸いな人生を過ごされたのです。それで、故人はその信仰のゆえに、救われ、神のいのちによって神に導かれて今は神のみもとにあります。

 

私たちはいつか死を迎え、神のご支配の中に行きます。その場所は人間の造った場所ではなく、神の備えられる住まいです。先に召された方々はそこで眠っておられ、主イエスが死者の中から復活された御業のゆえに、主イエスとともに導かれ、主と会うのです。私たちも共に待望したいと思います。

2016年9月11日 礼拝説教要旨

 ただ信じなさい

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第5章21-24節、35-43節

 

 

主題成句:「イエスはその話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた。」      

マルコによる福音書5章36節

 

 私たちの出会う大きな苦しみとして、身近な存在が突然、重い病気などで厳しい状態になり、もっと厳しくなることがあります。そんな戸惑い、苦しむ私たちを、主イエスはどう受け止め、どう助けて下さるのでしょうか。

 

当時、ユダヤ人の尊敬を集めていた会堂長ヤイロの娘が、重い病気で死にそうになっていました。父親ヤイロは、自分の立場も世間体も捨てて、主イエスに助けを求めました。それで、主イエスはヤイロと一緒に彼の家に向かわれました。しかし、大勢の群衆が主イエスに押し迫っていて前に進めません。そんなとき、会堂長の家から人が来て、娘がなくなったと知らされたのです。娘が生きていたから、彼は主イエスにお願いしていたのです。しかし、娘は死んだ。これからどうしたら良いのか、父親は途方に暮れたでしょう。厳しい現実を突きつけられて悲しむ父親を慰める言葉を誰が持っているでしょうか。

 

しかし、主イエスは彼に伝える言葉を持っておられます。『恐れることはない。ただ信じなさい』 主イエスは、恐れや不安で一杯の父親に、恐れるな。わたしが人間のいのちを支配し、治めている。わたしはあなたと共にいる。わたしを信じなさいと語られたのです。主イエスはそう言うことの出来るお方なのです。

 

こう語って、主イエスは向かった彼の家にいる人々に、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」と語り、娘に「起きなさい」と呼びかけられて、起こされたのです。主イエスが十字架にかかられて後、死人の中より復活されることを予告する力ある御業であります。