家庭の祝福
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書題10章1-12節
主題聖句:「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。」
マルコによる福音書10章6~8節
ファリサイ派の人々が主イエスに「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか。」と質問しました。この問いを彼らがしたのは、主イエスがどういう理由なら離婚を認めるのかという答えを聞き出して、答え次第でイエスを訴えようと試していたからでした。
主イエスはまず、当時の人々が何を根拠にして離婚を認めていたかを、彼らに尋ねられました。彼らは、モーセは、離婚状を書いて離縁することを許しましたと答えました。当時、そのモーセの戒めにある、どういう理由なら離婚が許されるかについて、人々は色んな意見を持っていました。それほど、昔から人間が愛の溢れる結婚を願いながら、その願いが破れ、結婚を解消することが絶えずあったことを示しています。
この問題に対して、主イエスは、離婚の理由を一々詮索するよりも、結婚の出発点に目を向けさせようとして上記の御言葉を語られました。人間は男と女という違う人格として、孤立して生きるのではなく、男と女と向かい合う中で、愛し合って生きる存在として造られたのです。それゆえ、人は父母の支配を離れて、その妻と向き合い、愛し合い、一つとなって生きるのです。結婚は神によって結び合わられたと信じて、共に歩む道です。ですから、神が与えて下さった相手として受け入れ、共に生きるのです。
塩けを保ちなさい
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第9章42-50節
主題聖句: 「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」
マルコによる福音書9章50節
今日の箇所も、主イエスは弟子たちに、ご自分の受難予告をなさってから、十字架への道に向かう道中、弟子たちに、主イエスに従う者のあるべき姿を教えられた言葉です。
42節で、主イエスを信じる仲間をつまずかせないように気を付けること、また、43節以下で、主イエスに従う者自身が、つまずくことがないように気を付けるように、と教えられておられます。
その時、弟子たちの思いは、主イエスの受難予告の意味が分からず、神の国が近づくことを思って、自分勝手に、弟子の中で自分が一番偉い者になりたいという思いで一杯であったのです。
そんな弟子たちが、主イエスから離れてしまわないように、主イエスの愛と教えをしっかりと保つように主イエスは、塩の話をしておられます。「自分自身の内に塩気を持ちなさい」と言われました。塩というと、調味料の一つで味付けの役目、また、防腐剤の役目を思わされますが、旧約レビ記2:13を見ますと、塩が、神様にささげる供え物にふりかけられたとあります。それは、神様との関係が保たれるためでした。そのように、弟子たちも、主イエスとの関係を変わらず保つための「塩」を頂いて、主イエスに従い、互いに平和に過ごすように教えられています。そのために主イエスと深くつながり続けて、その愛と教えに導かれましょう。
広い心
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第9章38-41節
主題聖句:「イエスは言われた。『やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。』」
マルコによる福音書9章39、40節
主イエスは弟子たちに、ご自分の受難予告をなさってから、十字架の道にまっすぐに向かっておられました。でも弟子たちには、その本当の意味が理解できませんでした。その間、弟子たちは彼らなりに考えて、間違いをしてしまい、それに対して、主イエスから正され教えられました。
弟子のヨハネが、イエスのもとに来て、イエスの名を用いて悪霊を追い出している人を見たので、その人に対して、そんな業をするのなら、わたしたちに従ってもらいたい、従わないのなら、その業を止めなさいと命令したと、意気揚々と報告したのです。
ところが、主イエスは、ヨハネの予想に反して「やめさせてはならない」といさめられたのです。ヨハネには、自分たちこそ、主イエスから直々にイエスの名によって悪霊を追い出す権能を授けられたという自負心がありました。主イエスは「わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後でわたしの悪口を言えまい。私たちに逆らわない者は、わたしたちの味方です」と言われたのです。イエスの名によって悪霊を追い出すという御業は神の霊による御業です。ヨハネに従わなかっただけで、その人もイエスに従っていたから、それができたのだ、その人も私たちの味方だと言われたのです。イエスの名を知る人がここにもいることを喜ばれたのです。