2017年6月25日 礼拝説教要旨 藤井圭子先生

   『 道・真理・命 』   

藤井圭子 先生

ヨハネによる福音書 第14章1-7節

主題聖句:イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のみもとに行くことができない               

              ヨハネによる福音書 14章6節

私は14歳の時、一人の人の死を通して、「生と死」の問題を考えるようになり、その解決は仏教の中に見出せると思い、京都の尼僧道場を訪ねて尼僧となり、誠心誠意、勉学修行に励みました。しかし、私の求めたものは仏教の中には見出せず、大変な失意のうちに還俗し、元の小児科医に復帰し、やがて結婚しました。

 

そんな私の所にイエス様は来てくださいました。というのは、私の家のすぐ隣にキリスト教の教会堂が建てられ、その献堂式に私は招かれて出席しました。

 

それから3年後、神様は夫婦の愛情問題を通して、私自身の偽善の罪を気づかせてくださり、その悩みのどん底の時、隣の教会の献堂3周年記念の集会を開き、わたしを列ならせてくださいました。

 

私は講師の先生のお証しを聞きながら、「イエス様、私もあの先生のように、あなたを信じたい!助けてください!」と心の中で叫んでいました。イエス様はそんな私の叫びをお聞き下さり、その夜、私をご自身の尊い御救いにあずからせてくださいました。

 

若き日、尼僧となってまで探し求めていた「道、真理、命」は主イエス様ご自身でした。主の御名はほむべきかな!アーメン。

2017年6月18日 礼拝説教要旨

聖霊の預言

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第2章1-7節

『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。

                      使徒言行録第2章17

 

聖霊降臨の日、聖霊に満たされた主の弟子たちが外国のことばで力強く神の御業を語ったので、それを聞いた人々の多くは、さらに聞き耳を立てました。しかし、ある人々は「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざけりました。

 

それゆえ、ペトロは弟子たちを代表して、そこにいた人々に声を張り上げて、聖霊降臨の意味について話し始めたのです。不当な中傷に対して彼は黙って聞き流さながさず、弁明をしたのです。

 

「今は朝9時ですから、酒に酔っているのではありません。」朝9時はユダヤ人にとって祈りの時でした。朝の祈りの後、朝食を取っていたので、今、酒に酔っていることはあり得なかったのです。そうではなく、このように聖霊に満たされて大胆に神の御業を語っている姿こそ、旧約の預言者ヨエルによって預言されていたことが成就したのだと説明したのです。旧約時代には、預言者だけが神の言葉を語っていたのですが、終わりの時、すべての人が聖霊を受けて神の言葉を語るようになったというのです。

2017年6月11日 礼拝説教要旨

子どもの祝福

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第10章13-16節

 

主題聖句:しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。     

マルコによる福音書第1014

              

今日は、教会の暦では、子供の日です。これは19世紀末、日曜学校運動の中から生まれて来た日で、教会に集まる子どもたち、この社会で育つ子どもたちのために祈る日です。

 

子どもは、無限の可能性を持つ大きな希望ですが、弱くて病気しやすいもろい存在です。ですから、子どもたちが元気に成長してほしいと親たちは願っています。

 

そのような願いを持つ親たちが、祝福をお願いしようと、子供を主イエスのもとに連れて来たのです。しかし、弟子たちはこの人々を叱りました。主イエスがいつもお忙しく大変なので、子どもたちのことまで手を煩わすのは大変だと思ったからです。子どもたちを低く見ていたのです。

 

しかし、主イエスはそれを見られて、ひどく憤られたのです。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」神が、主イエスが子どもたちを呼んでおられるのです。それは、神の国、主イエスにおいて現された神のご支配は、このような者たちのものだからなのです。神の国はこのような者、弱く、小さくて差し出されたものを無心で受け取る子どもたちのような者の国だからです。だから、子どもたちのように、無心で神の祝福を受け取る思いで主イエスからの祝福を求めていきましょう。