2017年8月27日 礼拝説教要旨

祝福の約束

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章22-26節

主題聖句:それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」

                 使徒言行録 第326

 

 

 イエス・キリストが真の救い主としてこの世に来て下さったことは、大きな恵みです。しかし、そのことに私たちは気づいているでしょうか。

 

「それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。」すなわち、神はまずイスラエルの民に、神の僕・メシアを遣わされたというのが、神の救いの計画だということです。そのことは、前もって、神がモーセによって、私のようなひとりの預言者が立てられると預言されていたことでした。その他の預言者たち皆、メシアが現れると預言していました。また、神がアブラハムに与えられた契約の中にも、すべての人々がアブラハムから生まれる者(メシア)によって祝福を受けるとありました。このように預言と契約に従って、神はまずイスラエルの民に、神の僕として、イエスを遣わされたということです。

 

しかし、イスラエルの民は、イエスを救い主として認めず、拒んでしまいました。けれども、神の救いのご計画は生きているのです。なおも、あなたがた一人一人が自己正当化をやめて、悪から離れて、神の祝福にあずかるようにと、神は働きかけ続けておられるのです。この神の祝福は、イスラエルの民にだけでなく、私たちにも与えられています。

 

森作常生 牧師 プロファイル

森作常生 牧師 プロファイル

  1940年歯科医の三男として茨城県で生まれましたが、父は私が3歳のとき、死去、以後終戦直後の困難な中、母が代用教員として、子育てに専念し、定年退職後、親類に乞われ、アメリカに渡り、99歳でロスアンジェルスにて天に召されました。私は大学卒業後、研究室で3年間過ごした後、渡米し、南カルフォルニア大で博士号(Ph.D)取得、帰国後愛媛大、大阪府立大、梅光学院大で35年間大学教員生活を送りました。最も長かった松山時代が20年間でその間松山協同教会でお世話になりました。下関の梅光学院時代には宗教主事をしたこともありましたが、ずっと信徒として奉仕して参りました。3年前に松岡義樹師開拓の現在の教会(聖蹟めぐみキリスト教会)に導かれ、JECA(日本福音教会連合)の一員として牧会に従事しております。家内悦子とはアメリカで結婚、長男、長女は松山で育ちました。

 

私は中学生のとき、大病を経験し、人の死について、深く考えるようになり、助からないと言われた病気を、神様の憐れみにより、当時心臓外科の権威であった榊原仟医師の執刀により、助かり、現在まで生かされてきました。現在も肺がんの診断を受けていますが、こころは平安で、寿命を取り仕切っている神様にゆだねております。(家内は鍼の資格を持ち、今毎日治療を受けています。)

 

 

   実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心

  な者のために死んでくださった。 正しい人のために死ぬ者はほとんどいま

  せん。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 しかし、

  わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでく

  ださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

                                 ローマの信徒への手紙 第568

 

  • ご本人から 掲載の了解をいただいています。

 

2017年8月13日 礼拝説教要旨

慰めの時が来る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章17-21節

 

主題聖句:だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。 

                         使徒言行録第319

 

  誕生したばかりのエルサレム教会で、使徒たちによって不思議な御業が起こりました。生まれながら足の不自由な男がイエス・キリストの名によっていやされ歩き出すということが、町の人々の大きな反響を呼んだのです。人々が非常に驚いてペトロたちのところに集まってきたので、この機会に、ペトロは、この不思議な御業がどこから来たのかを説明しました。それは、イエスの名を信じる信仰によったのだと語りました。

 

そして、そこに集まったユダヤ人たちに悔い改めを迫ったのです。神に向いていく生活をするように呼びかけたのです。彼らが悔い改めるべき理由は、彼らがイエスを捕え、十字架につけて殺してしまったのは無知のためであったからだと語りました。いくら知らなかったと言っても、罪を免れるものではありません。しかも、神は預言者によってメシアがむごい苦しみを受けることを前もって予告しておられたのです。彼らは知らなかったのですが、イエスが十字架につけられるという苦しみにおいて神の救いのご計画は実現したのです。イエスは真の救い主なのです。ですから、この方を信じて悔い改めるとき、罪を消し去っていただけるのです。

 

さらに、この悔い改めは、慰めの時の準備にもなるのです。「慰め」すなわち、安らぎ、元気づけられることが、将来、キリストが再び地上に来られるときにあるのです。このキリストにお会いできるのです。

2017年8月6日 礼拝説教要旨

主において同じ思いを抱け

三好 晴夫 牧師

フィリピの信徒への手紙 第4章2節-9節

主題聖句:わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。      

フィリピの信徒への手紙第42

 

  8月、平和を覚えて共に祈りたい。72年前(1945年)8月に第二次世界大戦が終わった。日本は無謀にも、中国やアメリカなど大国と戦い、戦闘員も一般市民も巻き込んで甚大な犠牲をもたらした。どんな理由があったとしても戦争を繰り返してはいけないと戦争体験者は語っている。でも、今も世界中のどこかで紛争や武力衝突が起こっている。

 

どうして戦争が起こるのか。その原因は、私たち人間の中にある、自分を正しいとし、相手と戦おうとする欲望である。そのような火種はいたるところにある。私たち一人一人の心の中にも潜んでいる。

 

私たちは自己主張し、何かの拍子に爆発して相手を攻撃してしまうことがある。それぞれの弱さゆえに、間違った判断で行動してしまうことがある。そのような欠け多き私たちの中で生まれる対立や衝突に対してどうしたらよいのか。

 

今日の箇所において、使徒パウロは、教会の中に起こる問題をしっかりと認めること、それにおける自分の意見や考えを主張し合って正しいかを決めるのではない。「主において同じ思いを抱く」のです。主がイエス・キリストにおいて成し遂げてくださった和解の出来事にお互いが思いを向けていくことである。このキリストの御業によって私も相手も救い出されたお互いだからだ。そこに一つとなる道を見い出すことができる。