2018年4月29日 礼拝説教要旨

わたしを愛するか

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第21章15-19節

 

暗礁聖句:三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。       

ヨハネによる福音書 第20章17節 

               

主イエスがもしあなたや私に「○○さん、あなたはわたしを本当に愛していますか」と3度も繰り返して問われたとしたらどう思われますか。その様な問いかけを、弟子のシモン・ペトロは主イエスから受けたのです。「あなたはこの人たち以上にわたしを愛しているか」と。

主イエスは彼のことをずっと愛してこられました。私たち人間をどこまでも愛され死に至るまで愛し抜かれたお方です。愛し信頼されているお方が「わたしを愛しているか」と問われているのです。この問いに対して、ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存じです。」と主イエスが分かってくださっていますと答えました。すると、繰り返し「わたしを愛しているか」と問われたので、彼は悲しくなったのです。それはこの私の愛を信じてもらえないから悲しいのではありません。自分の愛の小ささ、弱さに気づかされて悲しいのです。愛のない自分に向けてなおも主イエスが愛を問うておられます。主イエスは本当に愛して下さっている、赦して下さっている、信じて下さっているのです。主イエスは私たちをも愛して下さっているのです。

 

2018年4月22日 礼拝説教要旨

岸辺に立っておられる主

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第21章1-14節

 

主題聖句:イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

  ヨハネによる福音書 第21章6節

               

復活の主イエスがガリラヤ湖畔で弟子たちに現れた出来事です。彼らは、ガリラヤに集まっていました。それは、主イエスが復活の日の朝、婦人たちに弟子たちへの伝言として、彼ら弟子たちにガリラヤに行きなさい、そこでわたしに会えるという約束があったからです。

 

それを期待して、ガリラヤに来たのですが、主イエスはどこにも見当りません。それで今出来ることとして元漁師もいたので自信を持ってその湖で漁をしたのです。しかし、その夜は何も獲れなかったのです。それで彼らと舟は空しく岸に戻っていました。夜が明けたころ、イエスは岸に立っておられました。彼らはそれがイエスとはわかりませんでした。その方が舟の右側に網を打つように命じたのです。その命令は無謀のように思われましたが、彼らはお言葉に従って網を打ったところ、不思議にも魚が大量に獲れたのです。その時、彼らは3年前に同じ経験をしたことを思い出したのです。あの時も同じように何も魚が獲れなかった、けれどもイエスの言われた通りしたところ沢山の魚が獲れて、イエスが自分を弟子としてくださった。それを思い出し、岸にいる方が主と分かったのです。この御業を通して主がなおも自分たちを弟子として召しておられると確信したのです。私たちをも必要にして下さるのです。

2018年4月15日 礼拝説教要旨

じる者になりなさい

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第20章24-29節

 

主題聖句:それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。…信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」          

ヨハネによる福音書 第20章27節

               

復活された主イエスは何度も弟子たちに、ご自分が復活され生きておられる事実を現されました。その中で弟子の一人トマスに現れたことは独特なものがありました。それは、主イエスが復活されたその日の夜、弟子たちに現れたとき、トマスだけがそこにはいなかったということです。トマスが彼らのところに戻って来た時、弟子たちから「わたしたちは主を見た」と聞いたのですが、それを受け止めることができませんでした。自分は主イエスのお身体の十字架の傷跡を見、その傷跡に自分の指を指し入れて見なければ決して信じないと言ったのです。それほど、彼は疑い深くなっていました。でも、そのトマスの思いは、私たちには何か親近感を感じさせます。私たちもそのような面があるのです。

 

その8日後、弟子たちがまた家の中にあり、トマスも一緒にいたとき、主イエスが前回と同じように彼らのところに現われ、平和があるようにとあいさつをされました。そしてトマスに上記に記した言葉を言われました。その言葉には、主イエスのトマスに対する愛情を感じさせられます。トマスにも、御自身が確かに十字架で死んだ。けれども神の御力によって復活し生きておられることを知ってほしいと願われたのです。その傷跡は生々しい傷跡でした。その姿を見たトマスは、主イエスを真の神、まことの主と信じますと答えました。信じる者は幸いなのです。