2018年6月24日 礼拝説教要旨

指導者モーセ

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第7章17-38節

主題聖句:この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、

        不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。  

使徒言行録 第7章36

 有力な説教者ステファノが明確にイエスは救い主であることを語るので、人々は彼を最高法院に引き出して訴えたのです。この男は神とモーセと律法を冒涜していると。その訴えに対して、弁明したのが7章の言葉でした。今日の箇所では、モーセを中心に、モーセの生い立ち、モーセが神によってどのように指導者として働いたかを語りました。

 
モーセが生まれたころは、ヨセフを知らない王がエジプトを支配し、大勢になったイスラエルの人々を増えないように策略をめぐらし、イスラエルの人々を虐待し苦しめました。そんな中、生まれたのがモーセでした。彼が川に捨てられようとしたとき、不思議にもエジプトの王女によって助けられ、エジプトの教育を受けました。そのモーセが40歳になった時、自分の兄弟であるイスラエルの民を助けようと思い立ったのですが、同胞に受け入れられず、逃げてしまいました。それから40年経ったとき、シナイ山の荒野で、神は彼に現われ、エジプトで苦しむイスラエルの苦しみと嘆きを見たから、彼らを救うためにわたしはあなたを遣わすと命じられたのです。その使命を受けてモーセはエジプトに行き、エジプトの王と対決し、神の不思議な業としるしによって勝利し、人々を紅海や荒野でも導きました。このモーセは確かに立派な指導者でしたが、それ以上に神の民を罪から解放するお方が導いておられます。

2018年6月17日 礼拝説教要旨

 神様の召しと約束

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第7章1-16節

 

主題聖句:栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。   

 使徒言行録 第7章2、3節

               

私たちがキリストを信じる信仰者として旗印を鮮明にして歩もうとするとき、様々な闘いを経験する事があります。社会はこの世の慣習に合わせるように求めて来ます。そんな圧力に対して、私たちは弱い者ですが、その中にも、神様は信じる者を励まして力づけて、私たちだけでなく、この世の住む人々をも救い続けてくださるのです。そのような神様の導きがあると信じて、聖霊の助けを求め続けたいのです。

 

今日の箇所は昨年11月26日に学んだ使徒言行録6章の終りの続きです。エルサレムに誕生した教会で、生活に困窮している人々への物質的な援助を行うことで不平等が起こったので、それを解決するために「霊と知恵に満ちた評判の良い人」7人が選ばれました。その一人がステファノでした。その人達の活躍で、食べ物の配分をするための奉仕が適切に行われ、さらにその人達が力強く福音を伝え、病気を癒す御業も行われました。すると彼の働きに反対する人々が起こってきたのです。彼らは、ステファノを困らせようと、「あの男はモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」「この聖なる場所と律法をけなした」と訴えて最高法院の前に連れ出されたのです。

 

その訴えに、彼は旧約聖書に基づいて答えて行きます。その一つが今日の箇所です。神は私たちの先祖アブラハムを選び、召し、約束を与えられ、その約束を信じた彼らを祝福されました。この神を信じて歩もう。

2018年6月10日 礼拝説教要旨

 家族の祝福

三好 晴夫 牧師

エフェソの信徒への手紙 第6章1-4節

 

 

主題聖句:父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。     

 エフェソの信徒への手紙 第6章4節

               

6月第二主日は「子どもの日」です。教会に集まる子どもたち、この社会に育つ子どもたちのために祈る日です。この機会に、子どもたちの健やかな成長のためにどうすべきかを考えたいと思います。

 

子供と言っても、赤ちゃんや幼児、自我が目覚めてどんどん行動する時期の子供たちもいます。子供たちがその個性に従って心身ともに成長し、神と人から愛されていることを覚える子供となってほしい、さらには親子で共に神を畏れ敬い、礼拝するようにと願っています。しかし、子供たちがそのように成長していくのは簡単なことではありません。大変難しいことです。大変難しい理由は、色々あることでしょう。その理由の一つに、子供が親を敬い信頼し、親も子供を信じて育てていく、それが難しくなっていることがあるのではないかと思うのです。

 

今日のみ言葉は、親に向かって「父親たち」と呼びかけています。母親だけでなく、父親が子供の育児、教育に責任を感じて関わるようにとの勧めです。「子供を怒らせるな」子供を感情的に刺激して怒りの感情に走らせるな。頭ごなしに叱るのではなく子供の心を十分に配慮せよ。親が子供を育てていく中で、主キリストご自身がどのように子供を愛され、育てられるかを感じ取って育てるようというのです。主イエスは子供を迎え入れて抱き上げて手を置いて祝福されました。私たち親も子も共に主イエスにより育てて頂いていることを覚えて祈り続けましょう。