神の言葉を聞く姿勢
三好 晴夫 牧師
使徒言行録 第10章23b-33節
主題聖句:よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
使徒言行録 第10章33節
私たちが集会にお招きする方が、初対面の場合、その人はどんな方だろうか、緊張と不安を覚えながらも、できるだけ丁重にお迎えするのではないでしょうか。今日の箇所で、神の使いからペトロを招くように指示されたローマ人コルネリウスも、いざそのペトロが自分の家に到着したとき、緊張だったでしょう。その歓迎のあいさつが上記の言葉です。
初対面のお客様を歓迎するように「よくおいでくださいました」と挨拶した後、「今わたしたちは皆…聞こうとして、神の前にいるのです」と語りました。コルネリウスは意識して神の前に近づいているのだと言うのです。自分の前に神がおられ、その神の前に自分が近づいているのです。だから、自分だけでなく、家族も友人も揃って聞こうとしています。では何を聞こうとしているのかというと、「主はあなたにお命じになったことを残らず」です。すなわち、主キリストに導かれ、主キリストを信じるペトロに、主キリストが伝えるように指示されたことを聞きたいのです。ペトロ自身が主キリストから聞いたことを自分も聞きたいのです。そのように彼は謙虚に期待して受け止めようとしました。
その姿勢は、私たちも学ぶべき姿勢です。私たちも神の言葉を聞く時、コルネリウスのように神様を前にして、神様の言葉として受け入れますので、語ってくださいという姿勢で期待し聞く者でありたいものです。
感謝するサマリア人
三好 晴夫 牧師
ルカによる福音書 第17章11-19節
主題聖句:その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
使徒言行録 第10章15、16節
人が自分に対して直接、ありがたいことをしてくれたなら、何かお礼をするというのが世間の常識でしょう。実は、私たち自身、神様から大きな恵みや沢山の祝福を受けています。けれども、その恵みが大きすぎるからでしょうか。その恵みに対して、神様に対して心から感謝をささげるということがおろそかになっていることはないでしょうか。
今日の聖書箇所に、重い皮膚病で長い間苦しんでいた10人の人たちが、主イエスにお願いし、10人共に癒されたはずなのですが、10人のうち一人だけ主イエスのところに戻って来て感謝をしたとあります。どうして、一人だけが戻って来て感謝をしたのでしょうか。
この一人は、自分がいやされたのを知ったからでした。しかも、これは神様がしてくださったことだと知ったからでした。主イエスというお方が、まことの救い主であり、このイエスを通して神さまが自分を救ってくれたと知ったから神を賛美したのです。しかも、自分がサマリア人というユダヤ人から見下されているものなのに、こんな自分が救ってもらえたと知ったからです。だから、彼は神を賛美しながら引き返して、主イエスに直接感謝をささげたのです。その感謝する態度を主イエスはご覧になって「あなたの信仰があなたを救った」と励まされました。私たちも、私を救ってくださった主を感謝する信仰を持ちたいものです。
ためらわないで一緒に
三好 晴夫 牧師
使徒言行録 第10章9節-23節a
主題聖句:“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 使徒言行録 第10章19、20節
ユダヤ人であるペトロは、ユダヤ人の宗教的文化的伝統に基づいて、食べて良いものと食べてはならないものの規則を厳格に守っていました。それだけでなく、ユダヤ人から見れば、汚れた物を食べている異邦人は汚れた人として、外国人と交流を持つことを避けていました。
ある時、神を畏れる者であるローマ人百人隊長のコルネリウスの使いがペトロの滞在しているヤッファの町に近づいたころ、ペトロは自分の滞在する家で祈っていました。彼が昼一時頃、幻の中で、天が開き、大きな布のような入れ物が地上に降りてくるのを見たのです。その中にあらゆる獣や這うものなど食べてはいけない物が入っていました。すると「ペトロよ、身を起こして屠って食べなさい」と言う声がしたのですが、ペトロは即座にユダヤ人の伝統に基づいて清い物と定められているもの以外は食べませんとはっきりと言ったのです。すると「神が清い物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」という声がしました。そういうことが3度ありました。それで、ペトロは今見た幻はどういうことかと思案したのです。丁度その時、コルネリウスからの使いが彼のいる家に到着し、霊から「立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい」との語りかけを受け、ペトロは、自分を招こうとする外国人からの招きをためらわずに受けることを、主の導きと知ったのです。