2019年5月26日 礼拝説教要旨

 託された大切な使命

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第28章16-20節

   

 主題聖句: だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。                 マタイによる福音書 第28章19節

                            

昨年、私たちの教会は主の祝福の内に、創立百周年を迎えることができたことを感謝して、お祝いの時を持ちました。そして百一年目を迎えた今年、どう行動しましょうか。やはり、これまで私たちの教会が大切にしてきたことを、心新たに継続すべきだと示されています。それは、歴代の先生方と信仰の先輩方が大事にしてきたことであるとところの、毎主日の礼拝、御言葉を学び祈ること、主イエス・キリストを伝えることを、これからも継続して行うべきではないでしょうか

 

そもそも歴代の先生方がどうしてそのように励まれたのか、その根拠を示す御言葉が、上記の言葉です。復活された主イエスが天の父のもとに上られる直前に、地上に残していく弟子たちに託された命令です。ひと言でいうならば、出かけて行って、すべての人に主イエス・キリストを知らせ、彼らがキリストを信じるように導きなさいということです。

 

この命令を受けた人たちは、すでに主イエス・キリストの弟子とされた人たちでした。主イエスが自分たちを選び、救ってくださったことを知ってこのお方を信頼して生きているものです。私たちもそのような者です。それを自覚するならば、主イエスから自分が受けた救いと愛を、他の人にも知ってほしいと思うのではないでしょうか。他の人に主イエスを知らせていくことは簡単ではなく、神の力が必要です。そうなるように祈り願って行きましょう。導いて頂きましょう。

2019年5月19日 礼拝説教要旨

 主の復活の証人

 

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第24章44-49節

   

主題聖句:エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。                 ルカによる福音書 第24章47,48節

                 

主イエス・キリストは、弟子たちが、そして私たちが、主イエスの復活されたことの証人となることを願って、働きかけておられます。

 

「証人」とは、見て、聞いた事実を証言する人のことです。弟子たちも、見て知った事実がありました。その事実とは、主イエスが十字架にかかって死なれたけれども、その三日後、死者の中から復活されたという事実です。その事実を彼らは目撃したのですから、まさに主イエスの復活の証人となるべき人たちです。

 

でも、最初からふさわしい証人ではありませんでした。彼ら弟子たちは、主イエスから選ばれて弟子とされた、いつも主イエスのそばにいて、主イエスから教えられ励まされて育っていたはずでした。が、主イエスが捕らえられた時、逃げ出し、主の十字架の死の大きさに、彼らは失望してしまっていたのです。そんな彼らに、復活された主イエスは現れて、ご自分の復活された手足を見せて、復活を明らかにしてくださいました。さらに、聖書に記されている、メシアが苦難に遭うこと、その後復活するという預言について、主イエス御自身が彼らに分かるように説き明かされて、彼らの心を開いてくださったのです。

 

この主イエスの救いの御業によって、悔い改める者に罪の赦しが与えられるという福音が明らかにされたのです。この福音が宣べ伝えられるために、復活の喜び、救いの喜びを知った私たちも証人とされるのです。

2019年5月12日 礼拝説教要旨

 からだの復活   

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第24章36-43節

 

     わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見

なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」  ルカによる福音書 第24章39節

                 

主イエスが復活され、生きておられる、と聞かされても、弟子たちには信じられませんでした。弟子たちの内の、何人かが、自分は復活された主イエスにお会いしたと熱心にその様子を語るのですが、他の弟子たちは信じられなかったのです。

彼らが家の中に集まってそんなことを話し合っていたその時のことです。彼らの真ん中に主イエスが立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。これは、シャロームという挨拶の言葉であり、それ以上に彼らに主イエスの平安をお与えになったのです。

しかし、彼らは亡霊を見ているのだと思い、恐れおののくばかりでした。その彼らに対して、主イエスは、「なぜ、うろたえるのか。わたしの手と足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」と言って、ご自分の手と足とをお見せになられました。主イエスの両手と両足には、十字架刑で傷ついた釘の傷跡があり、血が生々しく流れていたことでしょう。それを見た弟子たちは、喜びに溢れます。喜びのあまりまだ信じられずに不思議に思っていると、主イエスは彼らの目の前で、差し出された焼いた魚を食べられました。そのようにして、主イエスは亡霊ではない、ご自身が肉も骨もあるからだをもって復活され、生きておられることを信じさせようとしてくださったのです。

2019年5月12日 礼拝説教要旨

 からだの復活    

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第24章36-43節

 主題聖句:わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」  ルカによる福音書 第24章39節

                 

主イエスが復活され、生きておられる、と聞かされても、弟子たちには信じられませんでした。弟子たちの内の、何人かが、自分は復活された主イエスにお会いしたと熱心にその様子を語るのですが、他の弟子たちは信じられなかったのです。

 

彼らが家の中に集まってそんなことを話し合っていたその時のことです。彼らの真ん中に主イエスが立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。これは、シャロームという挨拶の言葉であり、それ以上に彼らに主イエスの平安をお与えになったのです。

 

しかし、彼らは亡霊を見ているのだと思い、恐れおののくばかりでした。その彼らに対して、主イエスは、「なぜ、うろたえるのか。わたしの手と足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」と言って、ご自分の手と足とをお見せになられました。主イエスの両手と両足には、十字架刑で傷ついた釘の傷跡があり、血が生々しく流れていたことでしょう。それを見た弟子たちは、喜びに溢れます。喜びのあまりまだ信じられずに不思議に思っていると、主イエスは彼らの目の前で、差し出された焼いた魚を食べられました。そのようにして、主イエスは亡霊ではない、ご自身が肉も骨もあるからだをもって復活され、生きておられることを信じさせようとしてくださったのです。