2019年12月29日 礼拝説教要旨

心からの献げもの

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章1-12節

 

主題聖句: 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。      

 

マタイによる福音書 第2章11節

 

クリスマスは、プレゼントの季節です。プレゼントは、愛する者が相手に贈るものです。プレゼントというと、いただくものという思いがあるかもしれませんが、今日は、人に差し上げることについて考えてみたいと思います。相手にプレゼントを準備してそれを贈ることだけでもうれしいことですが、東方の博士たちのようにイエスさまに贈り物を献げることを考えてみたいと思います。私たちは、主に何をささげているでしょうか。この1年に与えられた主の祝福を覚える時、神様にどんな感謝をささげたらよいでしょうか。そのことを思いつつ、東方の博士の献げものについて学びたいと思います。

 

東方の博士たちは、東方で星を調べるうちに、特別に輝く星を見つけ、調べるうちに、この星がユダヤ人の新しい王が生れたことを知らせる星であると確信したのです。そうとわかって彼らは、新しい王にぜひとも会いたいと行動を始め、はるばるエルサレムに来ました。彼らはユダヤの王ヘロデに、その王はどこにいるかを尋ねましたら、聖書学者が示したのが、ベツレヘムでした。彼ら博士は、神のお導き、星と聖書に導かれて、遂に幼子イエスのいる家に着きました。彼らは幼子を見てひれ伏し拝み、自分たちの贈り物をささげました。彼らに倣い、私たちも主イエス・キリストを信じ、心からの献げものをささげましょう。

2019年12月22日 礼拝説教要旨

 言は肉となって

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第1章1-14節

 

 

主題聖句:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

            ヨハネによる福音書 第1章14節

 

クリスマスの出来事、すなわち、救い主イエス様がお生れになったということは、ヨハネによる福音書を書いたヨハネによれば、「言が肉となって、私たちの間に宿られた」ことだと言うのです。

 

 

「言は肉となって」。「言」とは何を示しているのでしょうか。それを知る手がかりは1章1節にあります。「初めに言があった」。神が天地を創造された初めの時、「言」であるお方はすでに存在していたということです。創造されたとき、神は「光あれ」と命じて、光を造られました。そのように言葉を持って創造されました。ですから、「言」は神の御意志、神の御思いを示しています。「言は神と共にあった」。言は御父なる神と最も近い関係にあるのです。「言は神であった」。イエスが地上においでになる前に神と共におられ、神であられたお方です。このお方が人に命を与え、人々に光をもたらしたのです。

 

 

このように言であられるお方、天地万物を創造される前から存在しておられたお方、創造の業に関わられたお方が、歴史のある時、肉となられたのです。人間と同じ性質を持つものとなられたのです。これは、驚くべきことです。闇の中にあって神を知らなかった私たち人間を、何としても愛されたゆえに、表わされた神の恵みの御業です。

 

そして、「私たちの間に宿られた」。言であるお方、すなわち、神の御子イエスは人となって、私たちの間に住み込んで共に歩まれたのです。

2019年12月15日 礼拝説教要旨

この子の名はヨハネ

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第1章57-66節

主題聖句:すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始
めた。

 ルカによる福音書 第1章64節

 今日待降節第二主日の主題は、神の御告げを受けて、子どもの誕生を待ち望んで祝福された老夫婦の信仰に学ぶことです。
ヘロデ王がユダヤの王であった時代。ユダヤの祭司ザカリヤが神殿で神に仕えていたその最中、天使が現れ、妻が子を産む、その子をヨハネと名付けよ、その子は救い主と先駆けとなると告げられたのです。でも、ザカリヤはその知らせを全く信じられず、しるしを求めました。それで彼は口が利けなくなり、話すことができなくなりました。
口が利けなくなったまま彼は神に仕えた後、家に帰りました。その後、妻エリサベトは身ごもりました。そして月が満ちた時、その子が生れ、8日目に神の選びの民であるしるしとしての割礼を受けることになり、名前を付ける時となりました。
ユダヤの慣例では親族の中にある名がつけられることが多かったのです。しかし、母親のエリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければならない」ときっぱりと答えたのです。それで人々が困ってしまい、子の名づけの最終的権限を持つ父親ザカリヤに聞くと、なんと「ヨハネ」と答えたのでした。すると、ザカリヤは、たちどころに口が開け、舌がほどけ、物が言えるようになって、神を賛美し始めたのです。どうして彼の口から賛美が出て来たのか、それは、神様が自分たちをあわれみ、赦してくださったことへの感謝と喜びが溢れたからではないでしょうか。