2021年3月28日 礼拝説教要旨

十字架のキリスト

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第27章32-56節

 

      

主題聖句:三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 

マタイによる福音書 第27章46節

 今日から始まる受難週において、主イエス・キリストの味わわれた御苦しみを覚え、その遂げられた救いに感謝したいと思います。

 

主イエスは神の御子であられ、何の罪を犯しておられない方なのに、ユダヤ人指導者たちからねたまれ、イエスは自らをユダヤ人の王と言い、自らをメシアと言っていると訴えられ、裁判で十字架につけられることが決まり、ついに十字架につけられました。その裁判の時も十字架の上でも、主イエスは何の弁解もせず黙ってその苦しみに耐え続けられました。

 

昼の12時に全地が暗くなり、三時まで続き、その時主イエスは大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。主イエスは、ご自分の死が迫る中、死の恐ろしさを思い、見捨てられたと感じられたのでしょうか。「見捨てられる」。神から見捨てられることは大変恐ろしいことです。私たち人間の罪をご自分の罪として背負って主イエスは神から見捨てられたと感じられたのです。もう神は自分を見捨てられたと感じられたのです。罪のゆえに神から見捨てられ、裁かれることを知って苦しまれています。その苦しみを背負って裁かれてくださったのです。それはこの方にあって私たちが神の前に義とされるために。

2021年3月21日 礼拝説教要旨

皆に仕える者になりなさい 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第20章20-28節

 

      

主題聖句:しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、                

マタイによる福音書 第20章26節

 主イエスがエルサレムに向かって行かれる途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて、神の御心によって、ご自分がエルサレムで指導者たちに引き渡され、十字架につけられるという苦難の予告をされました。しかし、そのことを弟子たちは理解できませんでした。そのとき、弟子の母親が主イエスのもとに来て、主イエスが王座にお着きになられるとき、その王座の右と左の席に息子たちを着座させてくださいと願いました。ほかの弟子たちよりも自分の子を優遇し、高い地位につけてほしいという願いです。このように自分を優遇してほしい願いは他の弟子たちも持っていたようです。

 

そう願った母親と弟子たちに、主イエスは「あなたがたは、自分が何を願っているのか、わかっていない」と答えられましたが、叱るのではなく、ご自分のこれから飲もうとしている「杯」(十字架の苦難)を一緒に飲むように促されたのです。その上で「あなたがたの間では」、すなわち、主イエスを信じて従う者の仲間の中では、偉くなりたい者は皆に仕える者になれと教えられました。仕えることは、給仕することです。主人の思いをくみ取りながら忠実に働く人です。仕えることが、リーダーに求められているのです。まず主イエスが仕える模範を示されました。主イエスが私たちの身代わりとなって罪を背負って命をささげて下さったのです。

2021年3月14日 礼拝説教要旨

栄光に輝くキリスト

  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第17章1-13節

             

 主題聖句: 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。     

マタイによる福音書 第17章5節

 

時おり、笑顔で人助けをされている方の姿を見かけて、光輝いていると感じることがあります。地上を歩まれ、多くの人の心に寄り添われた主イエスのお姿も、きっと光り輝いていたことでしょう。しかし、今日の箇所に登場する、主イエスのお姿は、それまでとは全く違う、栄光に輝くお姿でありました。

 

それは、主イエスが弟子たちにご自分が苦難に遭うことの予告をなさった6日後に起こりました。そのお姿は、神の栄光のお姿でした。主イエスは元々神のもとにおられたお方で、その栄光を捨てて人間となられた方です。今ここでその本来の栄光のお姿を現されたのです。その時、栄光に輝く主イエスのそばに、モーセとエリヤが現れて、主イエスと話をされました。彼らが話していたのは、主イエスがエルサレムで十字架において成し遂げられる人類のための救いについてでした。

 

この時、その光景を見た弟子のペトロは、それがすばらしいと感じ、この状態をずっと留めおきたいと思い、主イエスに願い出たのです。

 

その時光り輝く雲が彼らを覆いました。すると、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け。」という声があったのです。これは父なる神が、十字架に進まれる主イエスを認められた言葉でした。そしてこの主イエスに聞きなさいと励まされたのです。