2021年4月25日 礼拝説教要旨

復活の主イエス 

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第11章17-27節

             

主題聖句: イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。   

ヨハネによる福音書 第11章25節

 私たちは、毎日の生活の中で、色んな困難や苦しみで出会い、戸惑い、動揺してしまうことがあります。そんな時こそ、私たちの持つ信仰のあることが問われます。実に私たちは弱い者なのですが、私たちと共におられて生かしてくださるキリストを信じてお頼りして行くとき、強められ、支えられていく事が起こるのです。キリストを信じて行く信仰の大切さを今日の箇所は教えてくれています。

 

ある時、ベタニアに住むラザロが病気になり死んでしまいました。彼は主イエスを信じていた人でした。主イエスは彼が墓に葬られて4日経ったあと、ベタニアに来られました。その時、主イエスは、悲しみの中にある姉マルタに、「あなたの兄弟は復活する」と言われました。でもその時のマルタには、その言葉は、終わりの日の復活の時に復活することだと思って、それは信じますとだけ答えるだけでした。そのマルタに主イエスは力強い約束と宣言を語られたのです。それが上記の言葉です。

 

この世の終わりの時だけでなく、今、主イエスを復活であり、命であると信じるなら、主イエスは私たちの命一切をご自分の復活の命で生かしてくださるのです。主イエスは、事実、この言葉の通りに、十字架で死なれ贖いの業を成し遂げられた後、死人の中から復活されました。主イエスを復活させられた神の全能の力は私たちをも生かしてくださるのです。

2021年4月18日 礼拝説教要旨

ヨナのしるし  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第12章38-42節

 

      

主題聖句: イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。           マタイによる福音書 第12章39節

 主イエスは、病気の人や悪霊に取りつかれている人を癒されるなど多くの奇蹟を行っておられましたが、人々の中には、主イエスに「先生、しるしを見せてください。」と求める人がいました。それは、律法学者、ファリサイ派の人たちでした。彼らは、一応主イエスを「先生」と呼びかけて敬っているようですが、その実、主イエスが救い主であるとは認めず、救い主ならそれ相応の特別な能力を持っている外に見える証拠を見せてくれと要求したのです。

 

 

今日も、多くの人たちが、イエスを立派な優れた人格者と認めつつも、神の御子、救い主であるかどうか、それ相応の特別な能力を持っていることを示す外に見える証拠を見たいと思っているのではないでしょうか。証拠があって、自分たちに納得できる科学的証明がなければ信じないという思いが私たちの中にあるのではないでしょうか。この問いに対して、主イエスは「よこしまな神に背く時代の人たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」のです。「神に背いた」とは、神から愛されているのに愛を受け止めず裏切るような生き方のことです。何か特別のしるしによって神の愛の証明がなければ信じないという姿です。ただヨナのしるしがある。それは主イエスの死と復活によってあらわされた神の力です。主イエスの示されたしるしを見つめましょう。

2021年4月11日 礼拝説教要旨

からっぽの墓 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第28章11-15節

 

主題聖句:    言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。

           マタイによる福音書 第28章13節

今日の箇所は、主イエスの納められた墓がからっぽであったことが、弟子たち、主イエスを信じる人々に重要なことであっただけでなく、ユダヤ人の指導者たちにも大変気になることであったことを示しています。

 

主イエスが十字架でなくなられた後、納められた墓を、ピラトの命で番兵が見張っていました。週の初めの日の朝、大きな地震が起こり、その墓に主の天使が現れ、墓の入口の石がわきに転がり、その番兵はそれを見て震え上がったのでした。婦人たちも墓に行き、天使から主イエスが復活されたことを聞きました。この番兵は、その話を聞いたかもしれません。   その番兵たちは都に戻り、この出来事すべてをユダヤ人指導者たちに報告しました。それを聞いた指導者たちは、兵士たちに多額のお金を与えて「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさいと命じたので、彼ら兵士たちはそのお金を受け取って教えられたとおりに、出て行って言いふらしたのです。このようにして偽りの話が広まって行ったかに見えます。それほど、ユダヤ人指導者たちには、主イエスの墓がからであったことは、主イエスの復活を示すとは信じられなかったのです。しかしこの妨害の中に主イエスの復活は広まっていった。

2021年4月4日 礼拝説教要旨

主は復活なさったのだ

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第28章1-10節

 

      

 主題聖句:  あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。

           マタイによる福音書 第28章6節

 今日は、主イエス・キリストが死より復活されたことをお祝いするイースター(復活日)です。

 

金曜日の午後3時過ぎ、主イエスが十字架につけられ確かに死なれ、新しい墓に葬られたその様子を、婦人たちは見届けました。

 

やっと安息日が終り、日曜日の朝、まだ暗いうちに彼女たちは主イエスの葬られた墓に駆け付けたのです。死んで葬られた主イエスに少しでも近づき、何かをしたいと思ったのです。

 

転がされていた墓石の上に主の天使が現れ、言いました。主イエスはここにはおられません。空の墓を指し示して「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と。墓には主イエスのお体はありませんでした。

 

では主イエスはどうなったのでしょうか。天使は「かねて言われたとおり、復活なさったのだ」と告げたのです。死者の中から復活なさったのです。天使は、この出来事を弟子たちに告げるように伝言しました。その知らせを聞いた婦人たちは恐れながらも大いに喜んで、弟子たちのもとに走って行ったのです。その婦人たちに復活の主イエスは現れ、「おはよう」と励まして下さいました。主イエスは復活され生きておられるのです。