2012年11月18日 礼拝説教要旨

「ただ主に仕えよ」

 

政所 邦明牧師

 

ルカによる福音書 第4章16-30節

 

主題聖句:「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を…告げ、主の恵の年を告げるためである。」

ルカによる福音書 第4章18,19節 

                

「捕らわれている人に解放を…」とあります。わたしたちはいろいろなものに捕らわれます。何かに執着したり、こだわったりするのは心の中に引っかかるものがあるからでしょう。昆虫が蜘蛛の巣に捕らえられて身動きが取れなくなった状態になっている姿を思い浮かべます。わたしたちを縛るものはわたしたち自身の罪です。

主イエスは生まれ故郷のナザレの村の会堂で、安息日に説教をされました。その日に定められていたイザヤ書第61章のみ言葉が係の人によってまず朗読されます。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言って語り始められます。その時、会堂にどのような響きがたったかを想像します。

この当時の世界では、王やその他の支配者は取り立てるばかりではなく、温情で年貢などの免除を告げることもあったはずです。おそらく伝令がやってきて喜びの知らせを読み上げたのでしょう。朗読者は読んでいくうちに内容がわかります。読む調子も自ずと弾んだのではないでしょうか。王の代理ですから威厳をもって、しかも喜んで読み、民衆は、聞いた瞬間「わぁー」と歓声を上げたかもしれません。

ナザレの会堂で イザヤの預言に基づいて、罪の捕らわれ、縛られている人間に「罪の赦し」を主イエスは宣言されました。その赦しが出来事として起こるのが礼拝の場です。イエス・キリストは「今日」と言われました。罪の赦しの宣言は今の教会の礼拝においても、時空を越えて起こるのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です