2014年5月4日 礼拝説教要旨

「 罪の深さ 」

 

政所 邦明 牧師

 

サムエル記下 第12章1-15節前半

ルカ福音書 第15章11-19節

 

「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」      

サムエル記下 第11章15節

                                    

これまでダビデの生涯をごいっしょに学んできました。主君サウルから妬まれ、理不尽な扱いを受けながらも、忍従する理想的な信仰者の姿を読んできたのです。そして国内をやっと平定し、外国との戦いに備え、安定した時期がダビデに訪れたかに思えました。しかし、11章には忌まわしいダビデの犯罪が描かれています。部下ウリヤの妻を寝とり、しかも忠実なウリヤを外国との戦線に送りこんで戦死させてしまいます。直接手をくださずとも、邪魔になったウリヤを亡き者にできたと思えたでしょう。ダビデの内側に潜んでいた闇が突如吹き出してきたのです。人の罪は誠に不気味です。

いったん罪を犯すと、それを取り繕うために偽り、さらに嘘で塗り固めねばならなくなります。罪の責任から逃れる唯一の道は、誤魔化すことではなく、素直に認め、神の前に悔い改めて詫びることです。やがてダビデは預言者ナタンの追求を受け、言い逃れできないところまで追い詰められます。そして降参してやっと「わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。」(詩編第51編5節)と罪を認めて、言い表すのです。

「隣人の妻を奪うな」「姦淫するな」「殺すな」…これらは神の絶対的な命令です。戒めを破るのは結局、命令をされた神をないがしろにすることに通じます。成功して気が緩んだから、ダビデが罪を犯したとは思いません。もともとこのような神に背く傾向を、だれでも持っているのです。罪は人と人との関係に終わらず、神との関係にまで及びます。しぶとい罪です。その罪から救われる道は、キリストの十字架以外にほかにあるでしょうか。

 

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