2014年7月20日 礼拝説教要旨

汚れた霊をも追い出す権威

 

政所 邦明 牧師

 

マルコによる福音書 第1章21-28節

 

主題聖句:「権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」            

マルコによる福音書 第1章27節 

                                   

 

汚れた霊にとりつかれた人が福音書に登場します。「憑依」(ひょうい)妄想という言葉があります。「悪霊、あるいは動物の霊にのりうつられ、引き回され、支配されていると妄想すること」を言います。昔は異常な行動、また奇行をする人の原因をそのように考えたのでしょう。どこの世界でもあると思います。しかし、心の病なのに、うまく解明ができず“何か得体のしれない力”を持ち出して説明するのは“非科学的”だと避難されます。“もののけ”に支配されるというのはありえない。仮にあったとしても特殊な心霊現象で、自分たちとは関係ないと決めつけるのです。

 

わたしたちは何か一つのものの考え方に取り憑かれて突き動かされ、支配されることはないでしょうか。「競争社会で勝ち残らなければ滅んでしまう。」あるいは「良い学校に入れば将来は保証される」などです。盲信に近い思い込みにさえなります。「その時代に優勢な考え方に巻き込まれ、押し流されていない」と誰が自信をもって言えるでしょうか。“狐に憑かれた”などというとみんな眉をひそめます。ところが、「時代を支配する考え方がその時代に生きる人をとりこにしている」というと、現実味を帯びてきます。

 

バプテスマのヨハネによって主イエスが洗礼を受けられた時、聖霊が鳩のようにくだられました。「愛する子、心に適う者」と主イエスに対して父なる神は保証を与えられました。(マルコ1:11)その神の力を帯びて、神に逆らう力を滅ぼし、その力に捕らえられている人を解放するために、主イエス・キリストは来られました。福音を携え、ガリラヤの会堂で教えられたのです。

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