2014年8月24日 礼拝説教要旨

名を告げる神

 

政所 邦明 牧師

 

出エジプト記 第3章1-17節

マルコによる福音書 第3章13-19節

主題聖句:「あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。」

 出エジプト記第3章15節 

    

 

神の山ホレブで、神はモーセにご自分を現されます。イスラエル人として生まれたモーセは、事情により外国ミディアンの地で40歳から80歳まで羊飼いとして生活をしていました。このモーセを神はお立てになります。エジプトからイスラエル人を連れ出す指導者に召されたのです。

 

「モーセよ、モーセよ」と親しく名を呼んで、近づいて来られる神は、ご自分がモーセの「先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と名乗られました。同胞イスラエルはエジプトで、強制労働をさせられています。その同胞イスラエルを、苦しみから救い出すように神は、命じられるのです。そのためには、エジプトの王ファラオと対決しなければなりません。自分にそのような大役が務まるかどうかモーセは不安でした。そこでたまらず、神の名を尋ねます。不遜なことのようにも思えます。しかし、〝どこの何と言う神様〟が命じられたのかをハッキリと伝えなければ、イスラエルの人々は自分を指導者として信頼してくれないだろうと思ったのでしょう。

 

最終的には神は〝主〟(ヤーウェ)という名を明かされます。その前に「わたしはある。わたしはあるというものだ」と言われました。“名を知る”とは相手の存在を自分の手のうちに治めることを意味します。人が神の名を知れば、悪用しかねないことも起こるでしょう。しかし、神は人間が自由に操れるお方ではありません。自らのご意思でモーセをお選びになりました。「ある」には「ある者を○○にならせる」という意味があります。無力なモーセに力を与え、指導者にふさわしいようにされるのは神ご自身なのです。

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