2015年3月22日 礼拝説教要旨

葬りの用意

 

政所 邦明 牧師

 

マルコによる福音書 第14章1-11節

 

主題聖句:「…前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。…この人のしたことは記念として語り伝えられるだろう」

マルコ14:8,9

 

高価な香油を主イエスの頭に、ひとりの女性が注ぎました。香油の入った壺を壊したのですから、全部を主イエスのために献げるつもりです。この行為に主は、最大級の褒め言葉をお与えになります。「できるかぎりのことをしてくれた」(8節)「どこでも福音が宣べつたえられる所では、この行為が記念して語り伝えられるだろう」(9節)この預言のお言葉は的中します。福音を聞く教会ではこの婦人のしたことが礼拝で読まれ、それを味わうようになりました。〝埋葬の準備〟としての香油注ぎです。

 

祭司長たちが主イエス殺害を計画している緊迫した場面です。しかし、この女性が見据えているのは〝死〟の更に先の埋葬です。なんと気の早い支度でしょうか。体全体に塗ろうと思えば、かなりの量の香油が必要となり、壺を壊すのも納得できます。

 

使徒信条では「死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り」と告白します。死は葬りによって確定し、キリストは死んだ人のゆく〝陰府〟にまでお降り下さいました。死後3日間も経っています。「完全な死を経験してくださった」と使徒信条は念を押しているかのようです。そうまでして、人を罪から救おうとなさいます。それに応えて〝できるかぎり〟の感謝と敬意をこの婦人は、行動で現しました。無実の人の非業の死だから主イエスの死を悼むのではありません。人を救ってくださるからです。それを福音として聞く教会は、埋葬される主に感謝を献げるのです。

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