2015年10月18日 礼拝説教要旨

不信仰を助けたまえ

 

 

政所 邦明 牧師

 

 

マルコによる福音書 第9章14-29節

 

 主題聖句:「『できれば』と言うか。…その父親は…信じます。信仰のないわたしをお助けください。…」   

マルコによる福音書 第9章23、24

                                   

悪霊に苦しめられる子供を持つ父親がいます。その息子を主イエスのもとに連れてきました。霊は子供を引きつけさせ、地面に倒します。このような凄まじい力に苦しめられている現実を主イエス様もまた目の当たりにされました。厳しい現実を直視されても、それでもなお「おできになるなら、私たち親子を憐れんでください」と父親は主イエス様に願いました。「もしできるなら…」失礼な言い方です。 “ダメで元々、仮に結果がうまくゆきさえすれば、それでいい”的な、どこか逃げ道を作っています。

 

「『もしできるなら…』と言うのか」と主イエス様は問い返されました。「疑いを差し挟むような、無礼で、不適切な言い方をするなら、癒してあげないよ」と癒しを拒絶されたように感じたのでしょうか?父親は慌てます。「信じます。信仰のないわたしをお赦しください」「信じます」とは「信じたいと思います」くらいかもしれません。しかし、自分のことを「信仰のない私」と言いました。父親はとても正直です。

 

自分の無力や不信仰を告白し、一念発起して、努力すれば、すこしはましな信仰を私たちは持てる気がします。そうではありません。私たちは生まれつき罪に染まり、自力で信仰を持つことはできません。信仰は神様から与えられるのです。「信じるものには何でもできる」と主イエス様は言われました。信頼に足るお方は唯一神様だけです。神様だったら、いや神様でなければ、悪霊の支配からお救いになれないのです。何でもおできになる唯一のお方への信頼だけが私たちには求められているのです。

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