2015年12月6日 礼拝説教要旨

 

政所 邦明 牧師

 

命をささげるキリスト

 

マルコによる福音書 第10章35-45節

 

 

主題聖句: あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」

                  マルコによる福音書第10章38節 

                                  

「エルサレムで、ご自分は引き渡され、捕まえられて殺される」と主イエス様は弟子たちに言われました。そして自分を捨て自分の十字架を背負って、従うように促されます。ところが弟子たちは主イエス様の願いを少しも理解しません。「自分たちの中でだれが一番偉いか」とか、「神の支配が完成する時、だれが序列で上位に着くか」とか…そんなことばかりに気にしているのです。出世に対する野心をむき出しにします。

 

そして主イエス様が十字架と復活とを予告されると、決まって、主の願いに逆らうように、欲望を口にし始めるのです。わざとではないでしょう。けれども、救われがたい人間の惨めな姿が隠しようもなく現れてしまいます。弟子たちだけの問題でしょうか?とても他人事とは思えません。

主イエス様から大切なことを聞かされます。けれども、自分自身の信仰生活を振り返れば、あんがい初歩的なところで失敗をしているのではないでしょうか。それは主イエス様のことを理解していないからです。わかっていたら恥ずかしい我欲を平気で口にしたりはしません。

 

主イエス様の言われた十字架の価値を私たちはなんと無意味にしていることでしょう。無意味どころか、実は十字架にこそほんとうの力があるのです。「多くの人の身代金としてご自分の命をささげる」(45節)と主イエス様は言われました。十字架に無類の価値を見出す時、私たちは本当に恥じ入り、悔い改めに導かれます。そして服従への道を歩み始めるのです。

 

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