2012年1月8日 礼拝説教要旨

主題聖句   「主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」

マタイによる福音書 第2章15節

 説教主題 「夢に導かれて」

    マタイによる福音書第1章の後半から第2章にかけて上記のことば、それに類する表現が何度も繰り返されています。主イエス・キリストはマリア共々ヨセフの家に迎え入れられ、生命の危機の時はエジプトに難を逃れます。そしてエルサレム近辺のベツレヘムではなく、北のガリラヤ地方ナザレの町に住んで「ナザレ人イエス」と呼ばれるようになりました。その経緯(いきさつ)が、この箇所に、記されているのです。

    主イエスが幼児期の危難をくぐり抜けるために神はヨセフをお用いになりました。そして、危機に直面した折々に夢で具体的な指示を与えられます。このような指示がなければ、ヨセフは動きようが無かったはずです。しかし、マタイは私たちに告げます。ヘロデの幼児殺害計画、エジプトへの逃避行はその場しのぎの切羽詰まった行動ではなく、神が永遠の昔から立てられた一つ一つの計画なのだと…。

    アブラハムは約束の地カナンにまずたどり着きます。しかし、食料危機のため一度エジプトに逃れます。孫のヤコブも同様にその息子ヨセフの招きでエジプトに行きます。そして後にイスラエルの民族はエジプトから約束の地カナン(パレスチナの地)へとモーセを通して連れ出されるのです。幼子の主イエスが両親と共に歩んだエジプトへの往復の道は先祖の道を辿るものでした。出エジプトこそイスラエル民族にとって救いを表しています。それは罪からの救いを象徴しているのです。主イエスこそイスラエル民族、いや全人類の真の救いをもたらすお方なのです。

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