2017年12月3日 礼拝説教要旨

主の救いが現れる

三好 晴夫 牧師

イザヤ書 第51章4-11節

 

主題聖句:わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき わたしの腕を待ち望む。

イザヤ書 第515

 

  2000年前に、救い主イエスがお生れになったとき、何の前触れもなく、突然にお生まれになったのではありませんでした。旧約聖書の昔から、預言者たちが、やがて救い主がお出でになり、救ってくださるとの預言を伝え、その預言を聞いたユダヤの人々はそれを希望にして目の前の苦しみに耐えて過ごしたのでした。そのように救い主を待ち望んだ彼らのもとに救い主がお生まれになったのです。今年のアドヴェント(待降節)の時、その姿に見倣って、救い主の御降誕を待望したいのです。

 

今日は待降節第1主日として、イザヤ書51章を読みます。当時のイスラエルの民は、自国を大国バビロンによって滅ぼされ、バビロンで捕囚の身となり、絶望と苦難の中にありました。その彼らに、大いなる希望が示されたのです。わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。」正義というと、正しい秩序、正しい裁きというように思われます。しかし、神の正義は人を生かすものです。神の救いそのものです。そのことは、苦難のしもべの預言に示されました。神はその裁きを人に負わせるのではなく、主のしもべの上に負わせて、人々を救い出すというのです。そこに示されているのは、人々を何としても救おうとされる神の大きな愛です。その神の救いが救い主によって現されるのです。

 

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