2018年5月27日 礼拝説教要旨

イエスは主

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第2章22-36節

 

 

主題聖句:しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。      

 使徒言行録 第2章24節

               

今日は、弟子ペトロがほかの弟子たちと共に立ち上がって、集まって来た人々に、どうして自分たちが大胆に神の御業を語っているのか、その理由を説明したところを学びます。

 

五旬祭というユダヤの祭の日にも、弟子たちなど120名の人たちが集まって心合わせて熱心に祈っていたところ、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上に留まり、一同が聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出したのです。その物音を聞きつけた人々は、何事が起ったのかと気になって集まってきたところ、そこで弟子たちが大胆にしかも自分たちに分かる言葉で神の御業を語るのを見て聞いて、非常に驚いたのです。また酒に酔っているのだと嘲る人もあったのです。

 

まずペトロは今朝9時なのだから酒に酔っているのではない。預言通りに聖霊が降ったのだと語りました。あなたがたの間でイエスが不思議な業をしたのは、イエスが神から遣わされた方だということだ。そのイエスを神の定められた計画によってあなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたがこの方を十字架につけて殺した。しかし、神はイエスを復活させられた。それは、イエスが救い主だから死んだままであることはあり得ないからです。復活されたイエスが神のもとに上げられ聖霊を送られて、聖霊に導かれ、彼はイエスこそ主だと大胆に語るのです。

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