2018年7月15日 礼拝説教要旨

 まことの神の家

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第7章44-50節

 

主題聖句:けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。                        

 使徒言行録 第7章48節

               

教会がまことの神の家というのは、建物が立派さによってでも、また長い伝統によってでもありません。まことの神の家にふさわしい教会であるためには、礼拝する者がここにまことの神様がおられると信じて、神の言葉に基づいた礼拝をささげるのでなければならないと思います。

 

有力な説教者ステファノは、ユダヤ人たちから「お前は聖なる所をけなしている」と訴えられて、その問題に対して聖書に基づいて弁明しました。ステファノから見れば、ユダヤ人指導者たちが、エルサレムの神殿を誇っているけれども、ちゃんと正しく神を礼拝しているのか疑問であったのです。

 

それで、彼は、旧約時代において神殿がなかった時代があったこと、その時に幕屋があったことを明らかにします。幕屋とは、荒れ野で神を礼拝するための組み立て式の礼拝所でした。しかも神からモーセに設計を示され指示通りに造られたものです。その幕屋で人々は神に近づき、神とお会いして、神の言葉である神の戒めの刻まれた石の板を納められた神の箱の上で礼拝していました。礼拝の仕方は幕屋の時代から神殿になっても変わっていません。だからステファノは言うのです。神殿という建物は人の手で造られたものですから、いと高き神がそこにお住みにはなりません。神殿は、神の民の礼拝のために神の与えられた場所に過ぎないのです。大事なことは神の言葉に従って礼拝することなのです。

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