2019年8月25日 「主の豊かな導き」(今日の説教とは関係ありません)

主の豊かな導き

(今日の説教とは関係ありません)

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

 

             詩編23編1節(新改訳聖書) 

                         

詩編23編では、詩人が、主なる神を、私の羊飼いと呼び、自分を弱い一匹の羊として、神の豊かな導きを感謝し、賛美しています。つまり、人生の晩年に差し掛かった人が、これまでの人生を振り返って、主なる神こそが自分の歩みを豊かに導いてくださったと気づき、その思いを歌にしているのです。

 

詩人は、神様が自分の羊飼いと言いますが、羊飼いの仕事は、羊の群れを朝から晩まで丁寧に世話をしなければならない結構大変な仕事です。そのように、神は、私たち人間の生活すべての面倒を見て、一人前に育っていくように導かれるのだというのです。でも、私たちは、自分を育ててくれた親が、自分に対してどんなに大変な思いをして育ててくれたとしても、そのことの大変さをあまり知っていません。

 

この詩人は、主が私の羊飼い、私は乏しいことがありませんとどうして思えるのでしょうか。それは、自分がいかに弱くて愚かな一匹の羊であるという自覚があるからではないでしょうか。自分は弱くて愚かであったのに、神はこんな私の羊飼いとして私を守り生かして助けてくださったという思いがあるからです。事実、羊は弱く、臆病で目先しか見えず迷いやすい存在です。私たち人間に似ています。そんな私たちを主なる神が、キリストを通して私たちを導いてくださるので安心なのです。

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