2012年3月11日 礼拝説教要旨

主題聖句 「皆一緒にわたしに倣うものとなりなさい」

 フィリピ3章17節

説教主題「キリストによって生きる

   パウロは自分に自信があり、偉い信仰者だと思い込んでいるので「わたしに倣え」といっているのでしょうか。この「ものの言い方」は高慢な鼻持ちならないいやらしさを感じて、反発を感じる方もおられるかもしれません。「パウロ先生!あなたはそれほどお偉いの?」と皮肉のひとつも言いたくなります。
しかし、「自分を誇るのではなく、主キリストを誇れ」と常々言ってきたパウロが自分を誇るなどとは考えられません。キリスト者は神の前の謙遜さを求められます。自分は救われる資格も価値も無いと思っているはずです。「私は立派だから、私に見倣え」と言っていないことは確かです。それでは何を見倣えといっているのでしょうか?
パウロはコリントの信徒への手紙一 第11章1節でも「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と述べています。パウロの何に倣えというのでしょうか。パウロが主イエス・キリストに倣っているその姿勢です。煎じ詰めれば、「キリスト者はすべてキリストに倣って生きよ」ということなのです。当たり前の事かもしれません。しかし、いきなり「キリストに倣え」と言われると気後れする人もいるでしょう。そこでパウロは次のように言うのです。「私のように不完全ながら、キリストに従おうとしているものがいます。皆さんと同じ悩みを抱えながら戦っている私なら真似しやすいでしょう?」…このように自分の身を晒しつつ、信仰の仲間の前にキリストに従う見本として我が身を差し出しているのです。

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