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あゆみ

2021年1月17日(日) 礼拝説教要旨

2021年1月17日

主イエスに従う 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第4章18-25節    

      

主題聖句:イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。        

マタイによる福音書 第4章19節

 

私たちの信仰はどのようにして始まるのでしょうか。その中心的な始まりについて確認したいと思います。使徒パウロはローマの信徒への手紙10章17節で「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」と語っています。すなわち、信仰は、主イエスが自分たちに呼びかけられるその言葉を聞くことによって始まるのだということです。私たちが聖書を読んだり、説教を聞いたりすることを通して、主イエスが語られる言葉を聞きます。そして、その中に込められた主イエスのお心や思いを知るのです。そうしてこのお方がこの私にとってどんなお方かを知って信頼するように導かれます。そしてますますこのお方を救い主と信じ、これからも信じ続けるようにと導かれていくのです。

 

その意味で、主イエスの最初の弟子たちが、どのようにして弟子となったのかそのいきさつを知って、私たちが弟子として召されるその道筋を見たいのです。

 

主イエスがガリラヤ湖で漁をしていた漁師にかけられた言葉が、「わたしについてきなさい」でした。主イエスの方から、わたしを指導者として、わたしを深く関わって、わたしに従うようにとの大胆な招きです。主イエスは今も私たちをも招いておられます。主イエスを信頼し、神のための働きを一緒にしよう、そのように導くとの約束をもって招いておられます。

 

2021年1月10日 礼拝説教要旨

2021年1月10日

主イエスの洗礼

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第3章13-17節

           

主題聖句:しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」  

      マタイによる福音書 第3章15節

 

主イエスは洗礼を受けられたことによって、神の御子としての姿を公に表わされました。その栄光はどんな輝きであったのでしょうか。

 

それまでガリラヤに住んでおられた主イエスが30歳になられたとき、洗礼者ヨハネの働きを耳にしました。ヨハネは、ユダヤの荒野で、悔い改めよ、天の国は近づいたと語り、人々に悔い改めを迫ったのです。そのうわさが全イスラエルに拡がり、多くの人々がヨハネのもとに来て、自分の罪を告白し、洗礼を受けたのです。

 

その洗礼の列の中にイエスも加わり、自分に洗礼を授けてほしいとヨハネに願ったのです。しかし、ヨハネはイエスが罪のない方であり、メシアであると分かりその申し出を思いとどまらせようとしました。ところが、イエスはヨハネの躊躇を跳ね返し強く洗礼を求められました。その理由として「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」ということでした。「正しいこと」とは「義」と訳される言葉です。聖書では義とは神の契約に忠実であるということです。神は私たち人間を愛し救おうとされる救いの契約に従って人間を救う御業を進めてくださるお方です。その救いの契約に忠実に従おうとして主イエスは洗礼を受けると言われるのです。つまり、イエス自身、罪人の立場に自分の身を置き、人間の罪を自分の罪として負って告白されたのです。罪人の友として歩み出された。

2021年1月3日 礼拝説教要旨

2021年1月3日

主に守られて

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章13-23節

 

主題聖句: 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」    マタイによる福音書 第2章13節

 

 

クリスマスの恵みの中で、新しい年の最初の礼拝を持っています。

 

最初のクリスマスの出来事を見ますと、救い主の誕生を喜び祝う明るい面ばかりではなく、今日の箇所のようなエジプトへの避難など大変困難や危険が、その誕生の時からあったことを知らされます。どうしてこんな苦難が誕生の時からあったのでしょうか。それは、主イエスが誕生の時から人々に歓迎されなかったというのが、人間の現実の姿であったからです。ヘロデ王が、占星術の学者からユダヤ人の王が誕生したことを聞いたとき、ヘロデ王は自分以外に王が生れることは困ると思い、その子を殺そうとしたのです。私たちも、イエスを歓迎したくない思いがあることを知らなければなりません。でも、その中に神は御子を生れさせられたのです。罪人である私たちを救おうとされた神の御計画があったからです。

 

学者たちが帰った後、主の天使が夢でヨセフに現れて、急いで子と母親を連れてエジプトに逃げよ、ヘロデがこの子を探して殺そうとしていると具体的な指示をしました。ヨセフはその指示を神のご命令と受け留め、すぐに行動しました。こうして彼らは助かりました。神は彼らを守られたように、私たちとも共におられて、私たちを守り、導いてくださいます。

2020年12月27日 礼拝説教要旨

2020年12月27日

救い主を求めて

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章1-12節

 

主題聖句:「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

     マタイによる福音書 第2章2節

 

遥か東の方に住む占星術の学者たちがその地で不思議な星を見て、ユダヤにお生れになられた新しい王にお会いしたいと願い、ユダヤへと旅をし、まことの王としてお生まれになった幼子イエスを礼拝し贈り物をささげたことを覚えたいと思います。

 

彼らが星を調べているとき、特別に輝く星を見つけ、この星はユダヤで新しい王が誕生したことを示すものと確信したというのです。それは、ペルシャ地方に住むユダヤ人たちから、自分たちを救うために新しい王がお生れになるという預言があり、その成就を待っているということを聞いていたからだと思います。この特別の星の動きとその預言から、ユダヤ人の新しい王の誕生を知らせる星だと確信した彼らは、この王は世界を治める王になられるお方だと信じ期待してこのお方を拝みたいと強く願って、ユダヤのエルサレムへと向かったのです。

 

しかし、彼ら学者たちが、エルサレムで「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねたところ、王もエルサレムの人々も不安を抱くばかりでした。メシアはどこに生まれることになっているかを示す預言の言葉(ミカ5:1)が手がかりとなり、彼らが出かけていったところ、幼子イエスにお会いできました。彼らの願いを主は預言によって導いて下さいました。求める者を、主は導かれるのです。

2020年12月20日 礼拝説教要旨

2020年12月20日

神は我々と共におられる 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第1章18-25節

 

主題聖句: 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。                          マタイによる福音書 第1章23節

 

クリスマス。それは、神の御子イエス・キリストが人となってお生れくださったことを記念し、お祝いする時です。しかし、そのイエス・キリストがお生れくださったこの世界は、つまり、私たちの住んでいるこの世界は、悩みと苦しみが溢れていました。

 

ヨセフも悩み苦しんでいました。婚約中のマリアが聖霊によって身ごもったと聞いても、それを理解できず、思い悩んでいたのです。ヨセフは正しい人であり、心優しいでしたから、どうしてよいかわからず、ついに密かにマリアとの婚約を解消して別れようとしていました。そんなとき、思い悩むヨセフに主の天使が現れて、マリアを妻として迎え入れなさい、マリアのお腹の子は聖霊によるものだ、その子をイエスと名付けなさい、その子は自分の民を罪から救うものとなると伝えられたのです。マリアを妻として迎え入れて、妻と生まれる子を守るという使命が与えられたのです。この主の天使の言葉を、イザヤ書7章14節の預言の成就である、と福音書記者マタイは語りました。処女マリアから生れる、イエスと名付けられるお方は、その存在と働きにおいて、「インマヌエル」神が我々と共におられることの確かな保証だというのです。主イエス・キリストにおいて、神が人の世界に来て下さり、私たちを罪から救い出して、神と共に生きるようにしてくださったのだというのです。

2020年12月13日 礼拝説教要旨

2020年12月13日

目の見えない人が見え 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第11章2-19節

 

主題聖句:イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え…

              マタイによる福音書 第11章4、5節

 

待降節第3主日として、救い主イエスの少し前に現れて救い主の道備えをした洗礼者ヨハネについて学びます。

 

洗礼者ヨハネは荒野に現われ、「神の裁きが近づいたから、自分の罪を悔い改めよ」と教え、後に来られるメシアとしてイエスを紹介しました。そのようなヨハネが牢の中にいたのは、当時の領主ヘロデの罪を彼が責めたからです。それでヘロデに捕えられ、牢の中にいたのでした。牢の中でヨハネが気になっていたことは、自分が真剣に紹介したイエスが、果たしてメシアとしてどんな働きをしているかということでした。しかし、自分の弟子たちから聞いた情報によれば、イエスは自分の期待したようなことを行っていないということを知って、彼はぐらついたのです。それで、自分の弟子を遣わしてイエスに尋ねたのです。「来るべき方はあなたでしょうか。それともほかの者を待たなければなりませんか。」

 

主イエスはヨハネの弟子たちに、「行って見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」と答え、旧約聖書イザヤ書35章5,6節、61章1節を引用して、今起こっていることを教えられたのです。「目の見えない人は見え」るようになっています。神のなそうとされる救いの御業がイエスにおいて起こっているのです。ヨハネでさえも、自分の考え、理想の中にイエスをはめ込もうとするとつまずいたのです。イエスに思いを向けよう。

2020年12月6日 礼拝説教要旨

2020年12月6日

不信仰にならないように  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第13章53-58節

主題聖句:イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。             

 マタイによる福音書 第13章57、58節

 

「群盲(ぐんもう)象を評す」ということわざがあります。多くの盲人が象を撫でて、自分の手で触れた部分だけで象について意見を言う意味から、凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないというたとえです。そのように、私たちが、主イエスを理解するときも、その一部しか理解できないために、主イエスを正しく理解できずに、つまずいてしまうことが起こっているのではないでしょうか。

 

今日の箇所で、主イエスは育った故郷に帰られ、会堂で教えられたとき、故郷の人々がその教えに驚いたとあります。そして、イエスにつまずいたのです。どうしてそんなことが起こったのでしょうか。彼らは主イエスの教えを聞いて、その知恵と奇跡を行う力はどこから得たのかと、驚き叫んだのです。その時彼らが考えたのは、その力は天から来たとは考えず、周囲を見回したのです。この人は大工の息子だ、母親はマリアだ、その兄弟たちは、我々と一緒に住んでいるではないかと考えたのです。イエスを自分たちと同じ世界に生きる人としか考えられなかったのです。その理解によってイエスを預言者と尊敬はしても、救い主とは認められなかったのです。イエスの語る言葉を、神からのものとは受け入れることができなかったです。私たちが主イエスの言葉を聞く時に、主イエスがどんな思いで私たちに語られるのか、信仰を持って受け止めるようになりたいものです。

2020年11月29日 礼拝説教要旨

2020年11月29日

主の来臨の希望 

三好晴夫 牧師

イザヤ書 第2章1-5節

ロ-マの信徒への手紙 第13章11-14節

 

主題聖句:更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。・・・今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。                

     ローマの信徒への手紙 第13章11節

 

私たちの知っている今はどんな時でしょうか。異常気象、高齢化社会、コロナ禍による健康不安や経済不況、貧困など、厳しい現実の中にあり、それらに対して耐え忍びつつ、誠実に生きようとしている私たちです。そういう見方は、どこか今の瞬間だけを見た近視眼的な見方です。それだけでは不十分ではないでしょうか。もっと広い視野で見ていかなければなりません。そのような見方を助けてくれるのが、聖書の指し示す、神がどのように私たち人間とこの世界をご覧になっておられ、どのように救おうとしておられるかという視点です。

 

イザヤ書2章1節以下には、敵の攻撃に囲まれて苦しむ民に対して、終わりの日に主の神殿の山に多くの人々が主の教えを聞くためにやって来る。その教えによって平和の日が来るとイザヤが語って、民に、主の救いが来るとの希望を指し示しました。その預言は、主イエス・キリストの来臨とその御業によって実現し、この方による救いが示されました。さらにローマ13章11節には、今、私たちが信仰に入った頃よりも時が経ち、信仰がますます深まり強められてより救いが近づいているとあります。この救いは、やがてキリストが来られ死人を復活させて生きている者を立ち上がらせてくださる終わりの日の救いが近づいているのです。私たちはその時に備えて、闇の行いを止めて、光である神の前にキリストを信じて歩みましょう。

2020年11月22日 礼拝説教要旨

2020年11月22日

義とされた者の祝福   

三好 晴夫 牧師

ロ-マの信徒への手紙 第5章1-5節

 主題聖句:このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

ローマの信徒への手紙 第5章1節

 

ローマの信徒への手紙の5章に入りました。何か高台に上った時に見えて来る開けた景色を眺めているような印象がします。ここで今一度、これまで4章までに書かれてあった「信仰によって義とされる」ということが、どんな祝福をもたらすのかがまとめて言い表されているからです。これは私たちに大きな喜びをもたらしているとパウロは賛美しています。

 

それは「わたしたちは・・・神との間に平和を得ており」という祝福です。ひと言で言うと、私たちは神様と和解したということです。神様と和解したということは、神様が私たちの味方となってくださったということです。しかし、キリストを信じるまではそうではなかったのです。私たち人間は神を無視し、自分の欲望によって歩み、神に敵対して過ごしていました。ですから、神との間には、深い永遠の淵があるように離れて、神抜きの生活がありました。その結果神から裁かれてもおかしくなかったのです。しかし、神は私たちをそのまま裁かれるのではなく、何とか救い出すために、御子イエス・キリストをこの世に遣わされ、私たちの罪とその結果の裁きをこのお方に背負わせて十字架につけて裁かれました。この御業によって私たちが裁かれず、神の前に義とされるようにして下さいました。それは神の表わされた無償の恵みです。信じて頂くのです。キリストのおかげで神との間に平和があり、和解を頂いているのです。この祝福を感謝します。

2020年11月15日 礼拝説教要旨

2020年11月15日

望みえないのに望みを抱いて 

三好 晴夫 牧師

ロ-マの信徒への手紙 第4章17-25節

 

主題聖句: 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、

              ローマの信徒への手紙 第4章18節

 

旧約聖書には、信仰の父アブラハムが登場します。この人の生涯と信仰の歩みを見る時、神を信じる信仰とはどのようなものかが見えてきます。

 

このローマの信徒への手紙において、パウロは信仰によって義とされるその信仰の実例としてアブラハムの信仰を取り上げています。それを、「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて信じ」たと言い表しています。アブラハムは、主から自分の故郷を離れて主の示す地に行けとの召しを受け、カナンの地に家族と共に来ましたが、年を取っており子どもがありませんでした。子を与えるという神の約束を待っていましたが、子が与えられませんでした。彼らはもう無理かと思ったときもありました。しかし、主は彼に「あなたから生れる子が跡を継ぐ」、「あなたの妻が男の子を産む」と約束されました。神の励ましを受けて、彼は神の約束を信じたのです。彼には、可能性がないと思えましたが、彼は神がその約束を実現する力があると信じたのです。神に励まされて彼は神の約束を疑わず、神の約束を信じたのです。その信仰を神は彼の義と認められました。彼を神と正しい関係にあると認めてくださいました。

 

アブラハムの信仰が、私たちの見習うべき信仰です。主イエス・キリストは私たちの罪のために私たちの代わりに犠牲になって死んでくださいましたが、神の力で復活されて私たちを義としてくださるのです。神は主イエスを通して現された救いは、この信じる信仰によって頂くのです。

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